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ちあきの星空コラム

第99回 木星が見ごろ (2011/10/04)

明るく輝く木星をみつける

木星が見ごろになってきました。
就寝の前に庭やベランダから夜空を確認してみましょう。木星は東南東の空、おひつじ座の中で明るく輝いています。
秋の星座は、1等星のフォーマルハウト(みなみのうお座)のほかに1等星はなく、2等星以下の星がそれぞれの星座のかたちを構成していますので-(マイナス)2等星の木星の輝きはずば抜けて明るく、すぐにそれとわかりますし、天体望遠鏡で見ると小型のものでも十分に2本の縞模様を確認することができます。
木星は今月だけでなく、これから来年の2月ころまで観測好機が続きますので、ぜひ各地の科学館や地域の天体観望会で木星を観察しましょう。天体望遠鏡をお持ちの場合は、ぜひ観測しましょう。デジカメなどで簡単に写真も撮ることができますよ。

10月17日の木星の位置

10月17日の午後9時の木星の位置です。方向は東南東、高度角は40度くらいの見やすい位置で煌々と輝き、肉眼で見ても明るく見ご たえがあります

小口径で見た木星

口径8センチ程度の小型天体望遠鏡を使って見てもこの写真のように木星の本体に縞模様が見えます。接眼部にデジタルカメラを付けて写真撮影もできます。また、木星の本体と併せて4個のガリレオ衛星も見ることができます

中秋の名月は毎年仏滅って本当?

中秋の名月(旧暦8月15日、里芋を供える習慣から芋名月とも呼ばれます)は9月12日に終わりましたが、今月は旧暦9月13日の月を鑑賞する栗名月(地方によっては豆名月)が、10月9日にあたります。満月になる少し前の月を愛でるという習慣は、日本人特有の価値観あるいは美意識のあらわれと思われます。
この日は、収穫された栗や豆をお供えして月を眺める風習でしたが、今ではほとんど忘れ去られています。お供え物はなくてもかまいませんので、ぜひ、月を眺めてみましょう。
さて、先月は月の公転とひと月の日数のお話をしましたが、今月は中秋の名月の日は毎年、必ず仏滅となってしまうというお話です。
私の星仲間である横田憲治さんが投稿してくれました。

中秋の名月は仏滅である

横田憲治

月日常では旧暦(太陰太陽暦)を使うことは全くと言っていいほどない。旧暦から発生した行事も新暦に読み替えて実施されていたり、月遅れのお盆のように旧暦に近づけるように配慮されたりしているからである。
ところが、十五夜、十三夜などいくつかは旧暦が生きている。
といっても、十五夜だからといって月にススキやお団子を供えることもしないのだが。
ついでに加えて言うと、私の田舎には通称「二十三夜寺」というのがあって、毎月旧二十三日が祭り日で、三月、九月は特ににぎわっていた。
まあ、そんなことはともかく、旧暦には人のの知恵がいろいろな形で絡まり合っている。
古代中国の陰陽道や我が国神道その他諸々の宇宙観やら宗教観がまぜまぜになっていて、それらの意味が分かると結構楽しいものに違いない。その中には天体観測と密接に関係しているものがある。その一つに二十四節気がある。
二十四節気は旧暦の月日と季節のずれを調整するために生み出されたものである。
ここで話はちょっと横にそれるが、さる7月末に宮城県川渡温泉で開かれた流星会議で、「仙台藩の天文史」と題する講演の中で江戸時代の宝暦・寛政の改暦の話があったので、多少関連するかと思い“旧暦の閏月はどのように置くのか”と質問すると、答えは明快“中気の無い月を閏月とする”(注1)であった。恥ずかしながら私は“中気”を知らなかったが、その後の話の中で理解した。
月面半月話を元に戻すと、二十四節気は一年を時間で24等分した時点の含まれる日を当てる方法(平気法)と太陽の視位置を24等分した方法(定気法=太陽黄経15°毎)があるが、現在(天保歴以降)は後者が採られている。
また、基準点は、古くは冬至であったが、今は春分(点)である。
二十四節気には12個の正節(立春・立夏・立秋・立冬[四立]他小寒、啓蟄など8)と正節の間にはさまれた12の中気(冬至・夏至・春分・秋分[二至二分]他大寒、雨水など8)がある。中気とはこのことである。
そもそも、なぜ閏月が必要かと言えば、月と季節をなるべく合わせるためである。
12朔望月(29.53日×12)の約354日は1太陽年約365日より11日程短い。
3年経てば33日となり、ひと月を越えてしまう。3年に1閏月を置いてもまだ足りない状態である。
中気の間隔は平均して(一年/12=)約30.4日(注2)。旧暦ひと月は29日または30日であるから中気のない暦月が出てくる事は容易に理解できる。しかし、これでうまく暦月と季節がほぼ対応することが、長い年月に亘って維持されるのであろうか。この考察は、長くなるので、今回は述べない。

月面さて、表題が何処かに行ってしまった。これに向かおう。中秋とは秋の中程ということで、旧暦八月の異称である。秋というのは立秋から立冬までであるが、秋分を含む歴月を八月(冬至を含む歴月を十一月、春分:二月、夏至:五月)と定めているからである。
一方、仏滅,大安等というのは、六輝あるいは六曜(星)といわれる古くからの暦法のひとつである。六輝は順に先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口と並ぶ。
これらは旧暦一月朔日(注3)に先勝を当て、以下順に六曜を繰り返し、二月朔日には友引、三月朔日には先負をというようにこれも順に割り振っていく。そうすると、八月朔日は友引となり、中秋の名月の日すなわち旧八月15日は必ず仏滅となるのである。ただし、十五夜の月は必ずしも満月にはならない(注4)
閏月の疑問から旧暦にまつわるシステムをかいま見てみたが、奥は更にさらに深い。
インターネットと高島易団“神宮館運勢暦”を浅読みした付け焼き刃の知識で書いたので、間違いやこなし切れていない所もあるかもしれないが興味をもっていただければ幸いである。ご指摘,ご教授をお願いしたい。

満月近い月
注1 注2からも分かるように1歴月に二つの中気が入ることがある。このようなときには次に来る中気の無い月は閏月とはしない。
注2.公転速度の速い冬至の頃の大雪小寒間は約29.5日,公転速度の遅い夏至の頃の芒種小暑間では約31.4日である。
注3.朔日は“朔“すなわち月齢0の属する日で,”ついたち”とも読む。ついたちは“月立ち”の音便で月の初日を意味する。
注4.満月を望(太陽と180°の黄経差の位置)の時刻とすると,満月の月齢は平均すると1/2朔望月=月齢14.8となるが,実際は13.8から15.8の間で変動するという。朔が0時直後にある場合と,24時直前にある場合を考えると,満月の旧歴日は13日から16日の間で変動することになる。十三夜の満月が実在するかどうかは知らないが。

(よこたのりはる)

10月の天文情報

10月の星空

10月の空は、午後9時頃を迎えるころにはすっかり秋の星座が出そろいます。
最初に目を引くのが煌々と輝く木星です。木星はおひつじ座にあり、すぐそばにうお座もあります。両星座ともちょっと目立たないので、木星をみつけてから星図と照らし合わせて星座のそれぞれの位置を確認しましょう。
みつけやすいのは天頂付近にあるペガスス座。ペガススの四角形は秋の四辺形と呼ばれて親しまれています。
北にはカシオペヤ座、南には1等星フォーマルハウトのあるみなみのうお座。それからやぎ座、みずがめ座、くじら座、アンドロメダ座なども探してみましょう。
秋の澄んだ空気の中、きらきらと輝く美しい星空の鑑賞を楽しみましょう。

10月の星空(背景黒)

10月の星空(背景黒)

10月白星図

10月の星空(背景白)

10月中旬、午後9時前後の星空です。月の位置及び月明かりの影響は省略しています。画面をクリックすると大きな星図を見ることができます。この星図及び本コラムで使用している星図は、㈱アストロアーツの許諾を受け、天文シミュレーションソフト「ステラナビゲータ9」から加工した星図を使用しています。
田中千秋氏の略歴

田中千秋(たなかちあき) 男
1953年大分県生まれ

子供の頃、オリオン座の日周運動に気がついたことから星に興味をもち、その後、中学生時代に天体望遠鏡を自作して天体観測や天体写真撮影を始め、以来、現在まで天体写真を継続して撮り続けている。

この間、各天文誌の天体写真コンテストに入選。天文雑誌での天体写真撮影の啓蒙記事を幾度も連載、また、天文雑誌「星ナビ」の前身である「スカイウオッチャー」誌でのフォトコンテストの選者もつとめた。

最近は、各地の星まつり等における天体写真コンテストの選者をつとめたり、天体写真教室や観望会の講師をつとめるかたわら、仲間と共同で建設した天体観測所(千葉県鴨川及び長野県東部町)や神津牧場天文台(群馬県下仁田町)に天体観測に出かけている。

主な著書に、「図説天体写真入門」、「図説天体望遠鏡入門」(いずれも立風書房刊)がある。
茨城県龍ヶ崎市在住。