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ぶらり・ぶら~り

第99回 主婦の長期休暇第2弾 65才記念・スペイン巡礼の旅(4) (2012/10/26)

Part2「北の道・・・La Costa」3

13日目(4月30日)41,640歩29.1k :Castoro Urdiales~Laredo

朝焼けの中を出発、2日間歩いていないので、今日は歩こう、という気で歩き出す。
しかし、直ぐに上り坂で、なまった体にはチョット厳しい物もあった。

標識はLaredoまで33kと有るが、スペインの距離はどれも違い時々どうなっているのだろうと考えてしまうが、距離等どうでも良いのだと割り切るのが良いようだ。要は、caminoを歩いてSantiago へ最後は辿り着く。

海を右手に眺めながら巡礼は続く。本日の終点は小洒落た海岸リゾート地Laredo。公営アルベルゲは無く私営のアルベルゲに宿泊、13ユーロ。ホテル並の2人部屋でキッチン付。高級アルベルゲだった。

ここで又オーストラリアの3人組と同宿となり、その一人Nunnyはスーパーウーマン、数日後、他の二人は足や腰を痛めて帰国。その後パワフルな彼女と、何度も出会いがあった。彼女とはご縁があったのだろう。

14日目(5月1日) 47,282歩27.5k: Laredo~Güemes

今朝はアルベルゲから海岸線5kを船着場まで歩き、船でSantoñaへ。そこからはて?詳しい地図を持ち合わせていない、我々はバルセローナの若い2人の女性と一緒に歩く事になる。若い彼女達の速度について行くのは大変だが、そんな我が儘は許されない。このまままっすぐ行けば良いという所まで来た時に丁重にお礼を言って彼女達と別れ、おばあさん二人はゆっくり歩き始める。

町を抜け、大きな塀のある建物、それに沿ってウオーキングする人、これは?と思いながら進む。此処は刑務所と解る。少し進むと海岸リゾートのようで、ホテルやメゾン風な建物いかにもリゾート地の家々。

渡し船

渡し船

塀の外

塀の外

リゾートメゾン?

リゾートメゾン?

頼みの矢印を見つけて、歩き出したがそこは山越えだった。天気がよかったのでぬかるみではなかったが、砂地と岩で結構骨が折れました。しかし山の上に立つと、海岸の景色が疲れを消してくれます。

上り坂

上り坂

こんな所に矢印

こんな所に矢印

海に入りたくなります

海に入りたくなります

12時頃山超えは終わり、一時間次の町Nojaまで歩き昼食。SanMiguelを経てBareyoに到着したのは既に5時半頃。アルベルゲはGüemesに有るとの事6.2k。「2キロだよ」の言葉に励まされどれほど歩いたのだろうか 6.2k以上に感じた。

寄付金入れ

寄付金入れ

アルベルゲ入り口

アルベルゲ入り口

夕食風景

夕食風景

辿り着いた私営アルベルゲ、夕食、朝食付で寄付金だけで各自払えるだけ払ってくれれば良いとの事だった。夕食前にErnesto神父の、リブロと称する話し合いに参加するのが条件。このアルベルゲの歴史に始まりアルベルゲとは?巡礼とは?ペリグリーノとは?宿泊者達の議論が続く。スペイン語、英語、ドイツ語と本当の内容を理解出来ずに終った気がする。兎に角21時近くまで議論は続いた。巡礼では有名なニンニクスープは体を温めた。此処では今まで出会った人々とも再会。
忘れられないお勧めのアルベルゲだった。
議論が続いた集会所

議論が続いた集会所

私達が泊まった宿舎

私達が泊まった宿舎

スタッフのOmarとErnesto神父&?

スタッフのOmarとErnesto神父&?

15日目(5月2日) 47,282歩27.5k:Güemes~somo~(バス)~Santander~Santa Crz De Benzana

写真にあるOUTDOORはドイツ系の巡礼者の多くが持参している巡礼ガイドブック。
ドイツ人気質を良く表す、至れり尽くせりの内容。ホテル情報、詳細な方向指示、他巡礼に必要な情報満載の本。オーストリア人マリアがこの本を見て私達にこれからの道筋を教えてくれたのだが、とても覚えられなかった。私達は矢印に沿って歩く事にした。

13.2k地点Somoまで来ると、昨日頑張った疲れが出た。バス停でバスを待っている夫人から、もうすぐSnantander行きのバスがあると聞き、乗る事にする。

昼食をしたBar

昼食をしたBar

Santanderで昼食タイム。昼食にビールで、のどの渇きを解消する。しかしそのビール、チョット強かった。巡礼ですっかりビールが好きになったAだったが少々強いビールだった。「もう歩けない!タクシー!」とA。しかし、私は、昼食休憩で快調になっていた。12k地点のSanta Crz De Benzanaで待ち合わせる事にして、私は歩く事にする。

巡礼路は軽いアップダウンのある道で快適だった。しかし、Aが居るホテルを探すのにかなりの時間と労力を要した。やはりこのような時は無理に同じ宿にこだわらず夫々に宿を取り解り易い場所を合流地点にする事が良策だと思う。後日同じ失敗をして思った事だった。何はともあれ私達は無事合流して温かい布団の中で寝る事が出来た。

16日目(5月3日) 37,341歩26.6k: Santa Crz De Benzana~Polanco

ホテルからは、矢印も順調で二人巡礼に戻る。準備段階から問題になっていたBoo de PielagosからMogro までを歩かないで、鉄橋を渡る。汽車は一時間に2本らしい。線路への入り口には×印、危険行為は止めよう。私達は歩き始めるが、新興住宅地に入り同じ様な黄色い矢印(団地内の番地を記したものだった)に翻弄され薮に入り込む。Aの薮を押しのけて行くパワーに脱帽!やっとの思いで抜ける事が出来た。

昼食を何処にしようと思いながら選んでいるうちに、時期を逸してしまいてくてく歩くのみ。山の上で見つけたレストラン!疲れ、のどが渇き「先ずはオレンジジュース」。落ち着いたところでトルティージャを注文。これが大当たり。私達が あまり感激するので奥から出て来たシェフは女性。応対をしてくれた女性の母親らしく、まさにおふくろの味といったところだった。

6名定員のアルベルゲPolancoヘ向かって歩く。そろそろ到着しても良い頃と思いながら工場地帯を歩く、右折するタイミングを外したようだ。庭仕事をしている男性に金網越しに声をかける。携帯を差し出しタクシーを読んでもらい、雨模様になった夕方やっと到着。

幸い先着のペリグリーノは一人だけだった。先輩hiromiちゃんが何度か訪れていて、ホスピタリティのおばちゃんは日本人の私達にトルティージャとワインで大歓迎をしてくれた。

17日目(5月4日) 29,950歩21.4k: Polanco~Santillana

8時出発。なだらかなアップダウンを歩き新興住宅街に辿り着く。Caminoも少しづつ開発されて住宅や工場地を歩く事が多くなる。時代の流れと言うものだろう。大きなレモンがぶら下がるお庭でおばちゃんと立ち話、お花が大好きという彼女にレモンのおねだり。快くもいでくれました。ジューシーで美味しかった“グラシアス!”

11時にはSantillanaに到着。Altamira洞窟ある所、すっかり観光地化し観光客でいっぱい。アルベルゲは16時からとの事で荷物だけを置き近辺を観光。パラドールもあった。たまにはリッチな気分をとお茶をするとWi-Fiが使えた。ブログを更新。
観光後戻ると既に10人くらいのペリグリーノが待っていた。昨夜一緒だった英国の男性も(80才は過ぎているかも?)同宿。洗濯干場に可愛い声が・・・保育園の遠足?

チェックイン後Altamira洞窟博物館を見学、シニアは入場無料、年を重ねるって良いな~。
Altamira洞窟の詳細は下記のサイトへ、スペイン語だが感じだけでもお伝え出来ればと思います。
http://museodealtamira.mcu.es
お土産屋

お土産屋

アルベルゲ

アルベルゲ

保育園の子供達

保育園の子供達

18日目(5月5日) 32,582歩25.6k: Santillana~Comillas

朝から快晴程々のアップダウンを歩く。6時半に出発、8時にレストランを見つけ朝食。
気持ちのよい空を眺めながら歩く。La costaらしく右手に海が見える。珍しいぺんぺん草がはえた丸められた牧草。何もかもがのんびりしている。私の歩調も遅くなる。

ビルバオで知り合ったANNAとBarで再会。友人のLiseと一緒だった。デンマークの女性と言ったら語弊が出るだろうか?彼女達途中で休憩する時トップレスになる。シャワーの後はショーツ姿でアルベルゲをうろうろ。私達と同年代なのだがしまった体は、少しも不快感が無くcoolである。でもやはり日本人の我々はスタイルが良くても出来ないかも?

14時を過ぎる頃から,お決まりのにわか雨。町では中世の名残だろうか石畳の道、膝の悪い私には辛い道である。そろそろ今日の目的地Comillasに入ると中世の石橋。

アルベルゲの受付開始時間に何とか間に合ったようだ。ここでもペリグリーノが荷物を置いてホスピタリティを待っている。嬉しい事に今夜はフラットのベッドだった。

Camillasには1883年~1885年制作エル・カプリーチョ(El Capricho) ガウディの作品がある。これに関してはhttp://plaza.rakuten.co.jp/laurier/diary/201206120000/ で面白く紹介されています。

内装は外装とは違いそれほど奇抜とは思われなかった。庭にあるガウディ像と一緒に、彼が何を思ったのか知りたく並んでみた・・・・最も彼は一度も此処に訪れた事はなかったと言う事だった。 近くのレストランで遅い夕食をとり就寝。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。