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ぶらり・ぶら~り

第144回 ムーミンが誕生した国って?/旅編 (2016/07/26)

出発前日

成田発10時半のフライト、発着空港へは2時間前には到着するように心がけている。空港へはいつもJRで行く事が多い。当日は土曜日で我が家から早朝駅までのバスがなく時間がギリギリ。遊びに行くのに、夫に早朝迷惑をかけたくないので、なるべく公共の乗り物を利用することにしている。

01image010l前日、成田のゲストハウスに宿泊、最近は日本にも安宿が増えて助かる。バックパッカーバアバの私はゲストハウス大歓迎。日本では男女別室が定着している、やはり同性との宿泊の方が落ち着く。その夜は二段ベッドが3台の部屋に若い女性と私のふたりだった。

1日目

02image001lJALとフィンエアーとのコードシェア便、午前10時半出発。
機内は快適だった。体の小さな私たちには充分の座席の広さ、それに機種が最新式のものだった。以前のように機内が超乾燥地帯にならないよう配慮されていた。高齢者だってお肌の潤いは大事です。

それになんと!トイレ!トイレにウォシュレットが!日本を訪れる観光客が持ち帰りたいmade in japanの一つはウォシュレットと聞いたことがある。映画を4本見ているうちにヘルシンキ14:50到着。

ここからエストニア/タリンへさらに移動、飛行時間約30分。
ヘルシンキの空港は快適で入国、出国の手続きも問題なく通過。とはいえ今世界中テロの危険に晒されているので以前よりピリピリした雰囲気は安全の為と思い何事も協力的にこちらも対応することが大切だと思う。

03image003l17時タリン到着、久しぶりに直接飛行場に入らずバスを降りて少し歩く。日本とフィンランドの時差は7h(サマータイム期6h)日本が早い。

空港からタリンの街へは近いのでタクシーを使う(約10Euro)
住所通りで降車、そこは事務所だった。若いお兄ちゃんが一生懸命宿の場所と鍵の開け方を説明。方向音痴の私はかなり不安だった。もうすぐ退社時間らしく私たちの到着を待っていたらしい、ではご一緒に?と投げかけたが断られた(シュン)

案の定、結構迷った末にやっと宿に到着。事務所は街の広場。宿はトラムの停留所が近いとても便利な場所だった。ビルの中に入るまではひと騒動だったが、ちょうどお兄さんが帰宅。お兄さんは住人?旅人? なにはともあれ、お兄さんのおかげで無事にビルの中に入ることができた。私達が3泊する部屋はこの料金で良いの?と思うくらい当りだった。

ここから3ババの旅の始まり始まり♪
風呂、トイレも風呂とは別にもう一つ、台所、広い広い居間最後にベッドルームふた部屋。ツインの部屋に同じ年のKと私、早寝早起きのお姉さまNはセミダブルの部屋に決定。

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滞在中の相談をした居間

滞在中の相談をした居間

街はサマータイム、夜の8時を過ぎても明るい。寝るのを忘れそうです。
事務所のあった場所に戻り軽く食事をする。土曜日だから?それとも何かの記念日?広場はお祭り騒ぎ、広場には4、5件のレストランが立ち並び8時を過ぎて結構な賑わいだった。どこも満席、そんな中、空席を見つけ注文。軽い食事を済ませ、スーパーが空いていたので明日の朝食の食材を購入して帰宅。ヨーロッパに来ると土日は店が空いていないと思い込んでいたがエストニアは違ったらしい。

バトル3国の一つエストニアへの旅は初体験。
3泊4日の旅1日目が終わろうとしている。
ヘルシンキから船で日帰りの旅を楽しむ方法もあったが、あえてエストニアの一部タリンに滞在してみた。

バトル三国
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol80/

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。