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ぶらり・ぶら~り

第145回 ムーミンが誕生した国って?/旅編Part2 (2016/08/24)

2日目

1image001lエストニア/タリンをどのように遊ぶ?

前日受付をした事務所は、旧市街地の中心地にあるラエコヤ広場。そばにはツーリストinfoがあった。観光地図を見て本日の行動を決める事にする。

Infoの目の前にある代表的なランドマークの一つ聖ニコラス教会を訪れる。一周り歩くが中には入れなかった。

Infoからまっすぐ歩いたところで、タリンの歴史の動画を見る事ができた。画面はかなり汚れていた、それに多分エストニア語の動画だ。屋外の壁にこのような動画が見られるところは初体験。しかも目立たないところだった。

わからないエストニア語、汚れた画面だったが、1時間近いこの動画の意味は汲み取れた。聖ニコラス教会は中世のゴシック様式で17世紀のゴシック様式、17世紀の改築部分はバロック様式。

ナチス・ドイツの占領下だった1944年3月、連合軍の爆撃によって旧市街地全て破壊された。しかし、全住民の手によって戦後残された外壁の部分を根気よく探したのだろう。その一部を使って再建された。多分このような内容?

そして、中世ドイツ風の街並みが残り、「ドイツよりもドイツらしい」と言われるタリン旧市街。優れた景観と保存状況の良さが認められ、1997年に「タリン歴史地区」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。

ドイツよりドイツらしい街を堪能しよう。
第二次大戦後、全住民に残った記憶を元に復元された壁が、数多くあった。言葉がわからないながらもあの映像を見たおかげで、それを理解することができた。

私たちは、一番端っこにある太っちょマルガレータの塔をスタート地点に決め、エラエコヤ広場方向へ戻る。前日アパートを探すのに少し歩いたおかげで、少し土地勘ができていた。

最初の目的地に到着、外から眺めるだけにする。城壁と連動した砲塔城壁は、市内名所の一つ。海から市街に入る北門の防備の要塞。海洋博物館になっていて14世紀に建てられ16世紀に補強され砲塔となり、18世紀には更に壁の厚さが6.5mまで強化され、「ふとっちょ」のあだ名がついたという。

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ここから城壁に沿って歩き始める。その城壁から眺める街並みがパッチワークのようで登ったり下ったり結構良い運動にもなった。城壁はところどころ博物館となっていた。

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城壁は途切れながら保存されていた。城壁を楽しんだ後、旧市街南東のヴィル門にたどり 着く。左手ミューリヴァへ通りに続く人気の観光地「セーターの壁」城壁の下に、編み物屋台がある。ここでマフラーや帽子を購入。

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そろそろお昼、美味しいお店を尋ねると先日オープンした日本食レストラン徳丸「日本のラーメン」のお店を推薦。「ラーメンは良いから他を教えて!」すると旧市街近くのショッピングセンター、日本食の徳丸もそこにある”SOLARIS” の2階にある、いろんな物がたべられるLidoを勧められる。

6image006lこの店は中華を始め沢山のお店を選ぶことができる。言葉ができなくても指差しでたべたい料理をトレイに入れ選ぶことができる。他にスープ、サラダ、デザート、飲み物もあった。プレートに入れ最後レジで支払いを済ませる。簡単に好きな物が選べるので、エストニア語ができない私達にはありがたい。それにお腹にも優しかった。ここがお気に入りになり、二日間のランチはそこで済ませた。

“SOLARIS”にはスーパーマーケットもあり夕食の食材を購入、ひとまずアパートに戻る。食材を置き一休みした後、ラエコヤ広場に戻りかわいい汽車に乗って再び旧市街地を楽しむ。

夜はアパートで手作りの晩餐会、野菜が豊富なお腹に優しい夕食でした。

3日目

旧市街地は昨日堪能したので、この日はCITY TOUR バスに乗ってタリン全域を観光します。
昨夜相談した時は日本語ガイド付のバスに乗る予定でした。しかし2種類の会社があることを知らず、日本語ガイドのないバスに乗ってしまいました。それでも全部のコースを走り結構面白い1日でした。

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昼食は昨日と同じLIDOで取り、夕食はスーパーで食材を購入。
翌日はヘルシンキへ移動です。アパートに戻る前にアパートの事務所に立ち寄り、飛行場までのタクシーを予約していただきました。
この日は疲れが頂点に達したようで、無理をしないでアパートに戻り早めに就寝。
名前さえ知らなかったエストニア/タリンでしたが良い街でした。

タリンでの2泊3日の旅は充実していました。
明日からは本来の目的地フィンランドです。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。