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ぶらり・ぶら~り

第151回 16年ぶりに中山道歩き再開Part6 (2017/02/27)

[16年ぶりに再開した中山道歩きでの寄り道の続きから]

大井宿〜大湫宿14k

明智鉄道での旅を楽しみNと別れ中山道一人旅の再開です。恵那駅のビジネスホテルの朝食は豪華でした。

25年位前、初めて中山道の折込付録のある「山と渓谷」の別冊を購入。今回もその付録を参考に歩いている。もちろん時代は変わり、かなり道中は都会化されていると思われる。大井宿は美濃16宿の中で、随一の繁栄を誇った宿場。本陣のほとんどは惜しくも消失しているが、門や庭園、松の木が当時の姿を伝えている。これは中山道中、最多だそうだ。

大井宿の恵那駅から歩くと「中山道」の標識がいっぱい。
古希を迎えたばあさん一人旅には本当にありがたい。
道は車道と山道が繰り返される、その間「中山道」の文字に出会う度にウキウキとしてくる。大湫宿到着の頃には約7時間も歩いていた。

細やかな説明や多くの標識

細やかな説明や多くの標識

12時半頃山中で数人の外国のグループの昼食タイムに出会う。日本でのツアーを楽しんでおられた。国籍はカナダ、香港etc.添乗員はドイツの青年(日本在住)でした。

山中で出会った人々と道標

先へ進むとバイオトイレがあった。大便をバクテリアにより二酸化炭素と水に分解。人間が食べられない物は入れない。ただしトイレットペーパーは分解できるそうだ。気持ち良く用が足せました。

大湫〜細久手 6k

本日の目的地細久手まで後6kある、5時頃までには宿に到着したい。
かつての尾州半指定の宿だった「大黒屋」に宿泊予定。
http://hosokutedaikokuya.web.fc2.com/main/index.html

朝食をたっぷりいただいたので昼食を取ることをすっかり忘れていた。
次々と面白いほど興味をそそられることばかり、そういえば店らしいものもなかったかも?これから歩かれる方にはお弁当持参されることをお勧めする。

大湫に到着後どこかで食事をと思うが食事のできるところがなく、菓子パンと飲み物を売っていた店のみだった。休憩所のような場所がありそこでは焼き餅を売っていたようだがあいにくその日はおやすみ!(残念)

大湫到着

大湫到着

とりあえず空腹をしのぎ、大湫から細久手まで歩く。ここから先も峠、巨岩、石畳と歴史を感じる道が続く。昭和45年に長らく廃道になっていた旧中山道の石畳が発見された。全長約600mは日本一長い石畳。
http://nihonnotabi.com/gifu/mizunami/biwatouge/

宿への到着が気になりながらも魅力あるこのコース、20年前ならばもっと早く歩けたかも?しかし何も見ないで通り過ぎることもあったであろう。一つ一つを楽しみながら歩ける今が良いと思う。

大湫〜御嵩感が長かった為、中山道開道から6年遅の慶長15年(1610)に設置された宿場。昔の建物はほとんど残されていないが、ただ1軒旧尾張藩定本陣大黒屋だけが昔のまま旅館を営業している。

琵琶峠の石畳

琵琶峠の石畳

本日はその「大黒屋」に宿泊。なんとか夕飯には間に合った。
本日の宿泊は私を含め男女各2人。一人は中年青年、あとはシニアでした。
  

宿のご配慮か?それぞれお膳が四方に設置されておりました。しかし同じ目的で歩いている4人です、食事が終わる頃にはすっかり話が弾みました。

お互いの情報を話し合っていても皆疲れていますので頃合いを見計らい解散!それぞれの部屋で就寝ZZZZzzzz

前回の「中山道歩き」コラム
ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。