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ぶらり・ぶら~り

第153回 16年ぶりに中山道歩き再開Part8 (2017/05/01)

伏見宿〜太田宿〜鵜沼宿(各務ヶ原駅+3.5k) 19.5k

7時45分再び明智駅から出発,国道を歩く、資料に寄ると開発されて中山道の面影が薄いような情報もあった。歩けば中山道らしい雰囲気も多々残されていた。御嵩町観光協会のHPを改めてみるとそうだったと納得。 http://mitakekanko.fem.jp/index.html

伏見から太田宿へ

伏見から太田宿へ

1時間半ほど歩き木曽川に架かる太田橋を渡り太田宿へ。
太田宿は尾張半太田代官所や川並番所が設置された宿場。太田代官所は木曽川筋の軍事、政治、経済の中枢として、落合宿から鵜沼宿まで統括していたそうです。

2時間があっという間だった太田宿は昔のままに街道を保存されているようです。
街並みを歩きながらタイムスリップした気分でした。

太田宿

2時間があっという間に過ぎてしまった太田宿

昼を過ぎる頃太田宿の深田神社から30分歩くと「難読町村名坂(さこほぎ)」の大きな看板が左手に現れる。飛騨木曽川緑地ライン公園を山や河を愛でながら歩くこと一時間。いささか疲れが出てきたところに変化が!矢印に従いながら「中山道だよね」とつぶやくながら歩く、歩く。

左手にゴウゴウと音を立てながら車が行き交う21号線、木曽川、JRの電車etc.どこを歩いたか全く記憶になく必死に矢印に導かれて歩きました。

不安など感じる暇もなく何かに導かれて「日本ラインうぬまの森」にたどり着きました。
ほんの30分の出来事でそこは鵜沼宿。

ほっとした気分で歩き始めると前方におじさんがこちらを向いてニコニコ。
忘れることが大得意の私、「はて?お知り合い?」山の素敵なカフェでご親切にしていただいたKさんでした。必ずここを通るのはわかっていたので私を待っていてくださった。
歩きの好き者同士はなしは尽きませんがすでに14時を過ぎていました。
今日は体力も限界に近くなっていたので、最近の私は15時が限界のようだ。
うぬまの森から駅まで約5kでした。Kさんは駅までご案内してくださいました。
本当に世の中の9割の方は皆良い人だと思います。

ここでKさんと出会った

各務ケ駅には17時近くに到着、Kさんがご一緒でなければ駅まではもっと時間がかかったと思います。ありがとうございました。

鵜沼宿~加納宿(細畑駅) 約10k

ホテルを9時に出発、10時過ぎに各務ケ原駅から歩き始めます。
21号線には自宅の近くでもよく見かける大型店舗が次々とありました。
時々中山道を忍ばせる建物や標識があり間違いなく中山道を歩いていることを感じながら進みます。昼近くに「信長町」というバス停を見て、岐阜であることを改めて気がつきます。

この日は疲れが溜まっているらしく休む時間が多い日でした。15時過ぎに「細畑の一里塚」とお気に入りの路地をカメラに納め細畑駅からホテルへ帰宅?写真を見て知ることになりました。

加納宿(細畑駅)~加納宿(岐阜駅)

最近のビジネスホテルの朝食は結構充実していた。
今朝も朝食をたっぷりいただいた。

野菜いっぱいの朝食

野菜いっぱいの朝食

疲れも頂点だった昨日、そろそろ引き上げる時期にきたようです。右肩の鍵盤断絶の痛みが落ち着いていないようです。帰宅前に多治見に立ち寄ることにした。特別な気持ちがあったわけではない気まぐれだった。荷物は宅配便で自宅へ送り必需品のみでこの日は過ごす。

多治見では多治見修道院でルルド洞窟のマリア像を見る。余談だが2017年8月古希を迎える私のセルフイベントとして再度スペイン巡礼を計画。今回は還暦の記念巡礼時に知り合った獣医さんご夫妻とルルドへ数日行くことになっている。

写真を見ていて気がついた事だが、多治見でルルドのマリア像を見学していた。日本には幾つかのルルドのマリア像があると事を知る。なぜか今回気軽に決めたLinaと巡礼でこんな機会があるとは不思議なご縁を感じる。その多治見修道院からのながれで虎渓山を訪れ午前中を過ごす。

ルルドの洞窟とマリア像

ルルドの洞窟とマリア像

虎渓山

虎渓山

観光を終え細畑駅へ移動、岐阜駅まで街道歩きを続け夕方帰宅。
岐阜駅まではさすが県庁所在地、都会でした。

この旅の後は1年半治療を根気よくやり大分回復いたしました。もう若くないなあ!無理は止そう!とつくづく反省いたしました。完全回復ではありませんので徐々にリハビリをしています。100歳まで歩く事を目指します。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。