つくばのこと、もっとわかれば もっとたのしい! 茨城県つくば市のケーブルテレビ局ACCSによる地域情報サイト

ぶらり・ぶら~り

第160回 古希記念のスペインの旅7 (2017/11/27)

5月7日(日) Leon 〜 Podrafita do cebreiro 〜 O cebreiro

10時15分発のバスは少し遅れて出発、長距離バスの座席前には飛行機のような画面があった、イアホンは自前。

バスの到着後まずO cebreiroへ行くか昼食を先にするか迷っていると、同じバスで降りた2人のスペイン人男性も思案中だった。Linaが二人と相談して一緒に昼食を摂ることになる。

3人の会話に入り込む余地がなく、ニコニコと時々解る会話に首をふるのみ。食後彼らが荷物を運ぶタクシーを知っているらしく私達も同乗することになった。なんと二人で5ユーロ、Lucy!

O Cebreiro 〜 Hospital da condesa 5.5k

O ceberiroを楽しみcamino歩きの再開です。
途中の景色を楽しみながら、2つ目の地点Hospital da condesaのアルベルゲに16時半に到着。綺麗なアルベルゲだった。しかし、wifiはヨーロッパの人々が使えるラインで私のタブレットは作動しなかった。
近くのバルが使えるというので、明日の準備を終えバルで相談。

タクシーを交渉中        O Cebreiroでご機嫌のリナ

5月8日(月) Hospital da condesa 〜Triacastela〜A Balsa〜 Sarria
歩き約20k タクシー18.5k

8時半にバルで朝食をとる、昨日世話になったスペイン人男性達もやってきたTriacastelaまで天気も良く楽しい歩きだった。途中矢印のついた帽子を被った地元のおじいさんやこれからエッフェル塔を目指して歩いている男性にも出会う。

バルで朝食            今日はタクシーでなく一緒に歩く

矢印の帽子が素敵        エッフェル塔までブエンカミーノ

Triacastelaには昼頃に到着、観光地らしくレストランや遺跡もあった。
https://vivecamino.com/triacastela/

コンポステーラまで134k。太陽はまだ真上ではなかったので先へ進んだが10分ほど歩くと真夏の暑さがやってきた。5k先のA Balsaまでどうにか歩きタクシーでSarriaへ進む。10年前この街を通り過ぎた時、街には花絨毯が敷き詰められていた。

5月9日(火) Sarria 〜 Portomarin 22.4k

Sarriaを早朝出発。途中歩くペリグリーノ(巡礼者)が段々多くなってきてるようだ。14時本日の目的地Portomarinに到着。リナは膝の調子が悪いようだったが涼しい一日で頑張ってなんと22.4kも歩いた。とにかく何か食べようとレストランに向かう。巡礼メニューで力をつけ早々と就寝Zzzz

歩く歩くリナ、頑張ってます     ポルトマリン到着

15時、よく歩いたご褒美

5月10日(水) Portomarin 〜 Gonzar 8k歩く〜Palas de Rei(taxi)

リナの膝の状態は良くなかった。膝のためのストレッチを念入りにして8時に出発。しかし、少し歩くとリナは歩けない!その度にマッサージでその場を凌ぎながら8k地点のGonzarに到着。

巡礼者達はすでにレストランで昼食を取っていた。時々出会っていた同じ膝を痛めている青年がすでに到着していた。リナは彼からPalas de Reiに施術所の情報を手に入れていた。食後タクシーで移動。

施術所はアルベルゲの直ぐ側だった。彼女は直ぐに予約を入れた。
私はその間、明日の計画の変更を思案していた。

目的地まで68k、なんとかコンポステーラまで辿りつきたい。
根性のあるリナはその後、驚く提案をした。なんて柔軟な人なんでしょうと、更に彼女のことが好きになりました。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。