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ぶらり・ぶら~り

第181回 おばあちゃんのCamino de パッチワーク Part2 (2019/08/29)

2日目フェロル(Esteiro)〜Neda (13.4k)

前日訪れたinfomationの前を出発地点にしてferrolを巡りながら6.4K。1日目が終わった。
早朝に出発したかったがホテルが朝食付だったので朝食を取る。出発が9時過ぎとなった。

出発地点を歩き出したものの目印が見当たらず不安な思いをしながらの出発だった。Caminoへの道を住民の方々が知っておられるのだろうか?不安を感じながらの歩きがしばらく続く。

この道でいいのかな?と思いながら歩いている内におなじペリグリーノ(巡礼者)のカップルに出会う。彼らと前後になりながら歩く。正直ホッとした気分。しかし、ほどなく足の長いヨーロッパの巡礼者にはついていけなくなった。

巡礼者のカップルと別れた頃には頼りになる目印があった。さらに進むと住民の方々のウオーキングコースもありベンチまで用意されていていた。久々の巡礼の道なのでまだ体力が戻らない。私は焦らずマイペースで歩く。

久々に太陽が姿を見せる。その頃、荷物を背にした私の疲れはピークに達していた。大きな公園を通り過ぎ、多くの素敵な住宅まえを通過中、家主らしき男性に目的地Nedaまでの距離を尋ねると、このあたりが目的地Nedaだった。通りかかった中年女性に彼が私をアルベルゲ(巡礼の宿)へ案内を託してくれたらしく、私は労せずアルベルゲへ到着。

昼近いアルベルゲで、私は3人目の巡礼者だった。ベッドを確保してシャワー後、日陰を探してストレッチで体をほぐす。ここ一年運動の前後には必ずストレッチを欠かさない私。70歳を超えた私には体を動かす原動力になっている。

ドイツの女の子アリーナから今夜パスタを作るからシェアしないかとお誘いがあった。もちろん願っても無いこと、一緒にスーパーで食材を購入。調理にはアリーナの他の国のペリグリーノも参加、美味しくいただきました。食材をみんなで割り勘、おばあちゃんはお買い物だけ付き合い、後は美味しく頂いたので3€奮発して後は皆んなで割り勘にしてね(多分一人1€位)
アリーナは残り物で、朝食とランチの為のサンドイッチを作っていました。さすがドイツのお嬢さん、しっかりしています。仕事がドイツで待っているので、明日フェロルへ戻り帰国との事。

3日目Neda 〜 Pontedeume  16.5k

何時ものことだが身支度が遅い私は最後に宿を出る。次のPontedeumeまでの16.5kを矢印に導かれながら歩く。まだ体が慣れない私の足取りは遅い。

Pontedeumeに入る橋にたどり着いた時は流石にホッとする。ベッドはあるのだろうかと一瞬不安になるが心配しても仕方がない進むだけ。リゾート地らしいPontedeumeに到着後アルベルゲはすぐに見つかりベッドもあった。若者たちはここで泊まることは無く次の目的地まで歩いたらしい。

本日のアルベルゲは、倉庫を改造した様子の宿でした。全てが清潔。私は早く着いた方だった。体力のある巡礼者はフェロルからここまで歩いて来る。手続きは近くの教会の事務局でするらしく、ちょうど居合わせた親切な巡礼者について行き終了。

4日目 Pontedeume 〜 Betanzos 21k

70歳を超え自分の体力これ程衰えているのを今回感じたことはない。今日で4日目というのにこれ程の体力の消耗を感じたのは初めてだった。矢印を頼りに歩く毎日、それでも止めることは考えられなかった。我ながら本当にこの歩きが好きなんだなあ!

ぺタンソスの入り口をくぐるとレストランがいっぱいの広場があった。観光客や何処かで出会った記憶があるグループが乾杯を楽しんでいた。皆んな早いなあ!

私は宿を確保するべくオフィスへ向かう。しかし、部屋はなく係の女性がペンションを紹介してくれた。chocolateというペンションを紹介された、地図を渡されたが方向音痴の私は不安がいっぱいだった。彷徨うように出会う人にchocolateを連発しながら歩きなんとか探し当てる。15€のペンションは快適だった。何はともあれベッドに眠ることができた。

caminoの旅に興味ある方からは、よく「もし宿がない時はどうするの?」との質問を受ける。私は、到着が早ければ次の街まで歩くこともあった。本日は既に夕暮れ、運が良くてホッとしました(笑)
基本「どうにかなるさ!」私、いたって能天気系です。

今まで何度かのCaminoを経験したが「イギリスの道」はやはりメジャーなコースではないようで関心も薄く知らない方も多い。明日の目的地Burumaで「イギリスの道」半分を歩くことになる。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。