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ぶらり・ぶら〜り by ぶらり

第22回 モンサンミッシェル

海岸線から1キロほど沖に突き出た岩山で、フランスでもっとも有名な巡礼地です。海に浮かぶモンサンミッシェルを朝日から夕日まで堪能したくてかの地を訪れました。

オランダのハーグから国際特急「タリス」で向かう途中のアクシデントは既にお話しいたしました

(※それぞれの写真をクリックすると、大きな写真が別のWindowで表示されます。)

ここではヨーロッパ最大の干満差が観測され、かつては満潮になると島への道が消えてしまいました。潮が引いたときにのみ、この城に渡れるので多くの巡礼者がこの城に渡ったと言うことです。しかし、潮の干満を知らないで、たくさんの人が流されて亡くなったこともあるそうです。
堤防の存在を知らなかった私は、昔の巡礼者達のように引き潮を待って島へ目指すものと思っておりました。これは満潮の時間を調べなくてはと思って検索すると、現在は堤防によって結ばれ潮の満ち引きに関係なく訪れることができていました。

しかし、近年はその堤防のせいで砂が沈殿、堆積し、ぐるりと海水で囲まれることは稀となってしまった。海が「馬が駆けてくるような」速度でモン・サン・ミッシェルまで押し寄せる光景はなかなか見られなくなってしまったのである。私たちも簡単にこのモンサンミッシェルを観光できるようになりましたが、自然体系が著しく変わってしまったようです。

2005年春より、障害となる砂と車を整理し、モン・サン・ミッシェル本来の姿に戻す環境整備工事が始められる。工事終了は工事開始から5年後の予定。工事プロジェクトの詳細はこのサイトです。
http://www.projetmontsaintmichel.fr/

土手の側のホテルに私たちは2泊しました。
アクシデントでホテル到着が遅くなった私たちは、アップライトを見ながらのディナーも無く、手持ちの食料を分け合い就寝しました。

もちろん翌朝は早朝散歩から始まります。未だ昨夜の雨のせいか、きれいな朝日は望めません。明日の朝を期待します。人気の無い土手を歩いて城砦まで行ってみました。「モンサンミッシェル・これがモンサンミッシェルなのです!」7時から朝食です。ひと歩きしておなかがぺこぺこです。ホテルに戻ると観光バスが到着しました。日本人の方々が降りてきました。こんな早朝に?と、お聞きするとドイツやベルキー在住の日本人の方々で、昨夜出発して今日観光をしてここへ今夜泊まるそうです。朝食は日本人ばかりでフランスにいるのを忘れてしまいました。

私たちはその日時間を見て4往復してモンサンミッシェルを朝から晩まで堪能しました。また城砦の中は狭い路地でレストランやみやげ物屋でいっぱいです。
多くの説明よりも今回は画像を見ていただきます。

↑土手の異なる表情をご覧ください。土手を通る車もこの羊ちゃんにはかなわない(笑)道路を渡り終えるまで一時停車です。


城内の路地

昼食をとった通り

駐車場に出現した
レストラン

城内見学への入口

城砦の坂道 庭園の回廊 囚人達が車輪を動かし物資が上げ下ろしされます。

アップライトされた
モンサンミッシェル

サンセット

朝日に映る
逆さモンサンミッシェル
モンサンミッシェルに最後のお別れをしてバスで再びパリへ向かいます。
ここへくる時と違って全て順調にバス・汽車は進みました。
乗り換えの時間の余裕を持ってとっていたお陰で、ルクセンブルグへ行くのに予定の汽車より2時間早い汽車に乗れそうだとわかり、パリに到着してから再度タクシーを走らせました。
到着すると、今まさに汽車の出発のベルがなりそうです。「待って〜」昔の乙女は叫びます(爆笑)
火事場の馬鹿力でしょうか?信じられないことでした。
かくして私たち今回のパリは本当にあわただしく通り過ぎただけで終わりました。

ルクセンブルグにある小スイスと呼ばれるイヒテルナッハで、1週間の熟女6人のアパート生活が始まります。

2006年2月20日

ぶらりさん自己紹介


世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4〜10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。