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ぶらり・ぶら〜り by ぶらり

第33回 サンチャゴ巡礼道900キロの旅
Part5 ログローニョ〜

6月7日(水) ログローニョ〜ナヘラ 29キロ53,939歩(しっかり47,557)

ログローニョのアルベルゲを暗いうちから出発。扉を出てハテ?どちらへ?前日しっかり方向を調べておくべきだった。他の巡礼者と苦笑しながら頼りの道しるべを見つけ改めて出発。

出発直後から夕べ知り合ったイタリアのグループのお兄ちゃん。彼は柔道をやっている消防士さん。黒帯らしい!
9月か10月には大会に参加する為に来日するとのことだったがその頃私は超忙しくてコンタクトをとる時間が無かった。来たのかな〜?スハ゜ケ゛ッテイを宿でご馳走してくれると言ったのだがこの頃から私達は何とかレオンまでたどり着きたくて先を急ぎ同じ宿になることは無かった。

リオハワインが有名で葡萄畑と赤土の道が続く、ナバラッテで休憩を取りサンアントン峠を乗り切る。ナヘラのアルベルゲは大部屋でドイツ人のおかまちゃん他顔馴染みがすでに到着していた。“お互いが無事に到着したことを喜び合い、オラ”の挨拶から始まり何かと情報を交換し合う国は違っても仲間意識が育っていく。今思うとレオンで帰国する時彼らと一緒にゴールできなかったことがとても残念でならない。

6月8日(木)ナヘラ〜グロニョン 27.5キロ47,557歩(しっかり42,465)

本日もナヘラを早朝に出発。シルエーニャまで麦畑とブドウ畑を見ながらなだらかな上りを歩く。
サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダまでの21キロを昼までに歩き終える。暑さと空腹から小さな公園で休憩。休憩を終えて歩き始めてサント・ドミンゴに到着しているのに気がつく “サント・ドミンゴでセルベッサ(ビール)だ”と言いながら暑さを乗り切ったのに!(;。;)
スタンプとトイレをお借りしようとアルベルゲに立ち寄るとイタリアのお兄ちゃん達はシャワーを浴びたばかりの様子で“オラ!”と声をかけられる“オ〜ラ”と私達の返事だった

※ スペイン語「Hola」は、親しみを表すくだけたあいさつ表現です。「やあ、こんにちは!」と言った感じ

サント・ドミンゴに素敵な宿があり、歴史のある街なので逗留したい気持ちはあったが、なんとしても今年レオンまでは歩きたいという気持ちがあったので私達は後ろ髪を引かれながら更に進んだ。
それにグロニョンのアルベルゲは最高との書き込みもあったのだ。
グロニョンのアルゲルベは教会だった。夕食、朝食付で無料!もちろん寄付は受け付けるとのことで私達もそれぞれ5ユーロを寄付させていただいた。

 


アルベルゲでの夕食

6月9日(金)グロニョン〜オカ 27.8キロ42,383歩(しっかり35,689歩)


神父様の卵

心づくしの朝食を頂き7時前に教会を出発。4人の若者に出会う。昨夜アルベルゲでボランテイアをしていた青年達だった。彼らは神父さまの卵、ポーランドのフィリップ、ニコラス,USAのジョナサン、フランスのオーガスティン。オーガスティンとは何度も出会うことになる。

そろそろお茶の時間にビジャマジョール・デル・リーオの国道沿いに見えたレストランがあった。
立ち寄ると噂のイベリコハモンに喉がゴックン!アルベルゲの宿泊代前後の6ユーロ!ちょっと高い!
しかし、日本ではとてもこのお値段では食べられない“いただきま〜す”


レストラン


イベリコハム

イベリコハムのサンドイッチ

おいしいものを頂いて更に歩きます。途中コウノトリの巣を発見。スペインでは珍しくない光景だ。見慣れない私達にとって初めて見た時は感激だった。住み着くコウノトリの巣は相当の重さになるようで現地にとっては問題があるようです。

午後4時頃到着間近、車の往来の激しい国道は恐怖だったが、ようやく宿にたどり着く。ベッドを確保してシャワーと洗濯は巡礼の定番である。
この時、2段ベッドの下にこだわる若い女性がいた。後で解ったことだが彼女6ヶ月の妊婦さん。今頃元気な赤ちゃんが生まれていることだろう。


コウノトリの巣

明日の朝と昼の食料の調達にバルへ出向く。ここではバルで食料が売られていた。まだ食料が到着していないとのことでフランス組と待つことになった。彼らはその食材で夕食を作りパーテイが始まる。私達もご相伴にあずかり、メールアドレスの交換。


オカの町に到着


バルの前で商品が届くのを待つ

フランス組とパーテイ

6月10日(土) オカ〜ブルゴス 41.4キロ 61,913歩(しっかり58,112歩)

今日は山越え(200m以上の標高差)である。6時に出発まだ外は真っ暗だった。前を行くおじちゃんがいてこれはラッキーとばかりついていくが途中でストップ!道が無い、人が歩いた気配が無い。すぐに引き返す。分かれ道まで戻るとフランス組に出会う。“先に出たのに?(笑)”朝焼けが美しい!

戻ってみると二股のところにXの文字。何事もお任せではいけないと反省!先人が残してくれた印を大切にしたい。

途中森の中で朝食。その後は12キロの山越え、胸突き八丁の坂はさすがに疲れた。サンファンデオルテガの教会に辿り着き休憩。フランス組はすでに到着。


石で作られた印

ここで、例の妊娠さんと6ヶ月のお嬢さんを連れた若い夫婦に出会う。期せずして6ヶ月同士が同じ場所で休憩タイムになりました。元気ですね。

<余談ですが、子連れ主婦〜の 依田さんから私のコラムを愛読してくださっているとのコメントに恐縮しております(;^_^A 私がこのようなコラムを書かせていただいていること自体が冷や汗ものなのです。プロである依田さんに・・・時々息切れしそうですが頑張りま〜す。若いママ予備軍と乳飲み子同伴の巡礼若夫婦!依田さんの「子連れ〜」を拝見しても若いパパ&ママの行動力に驚いてしまいます。そういえば我が家の子供達も親子でとても楽しんでいるようです。少し生まれるのが早すぎたかな?>


こんな道が延々と続きます。

さて、この日は2つの山越えをしてなんと40キロ以上を歩いてしまいました。特にブルゴスまでの約17キロの平坦な道が長く感じられました。ブルゴスは大きな町です。町に入ってもなかなか町の中心へ辿り着きません。やっと繁華街に入ってもアルベルゲまでは後一時間位はありそうです。オスタルに泊まることにしました。

インフォーメーションを探しているとお互い前後していたドイツのスザンナに遭遇しました。彼女は休暇に限りがあり、どうしてもサンチャゴへは到着したいのでオカからバスでブルゴスに来ていたのです。この巡礼は絶対に歩かなくてはいけないなどという野暮な決まりはありません。歩き、自転車、バス、タクシーいろんな選択があります。自分の状況に応じて臨機応変に巡礼を楽しめば良いと思います。

彼女がインフォーメーショまで案内してくれました。“巡礼の道に沿っていて安いオスタルを”とリクエスト!一泊15ユーロの宿を紹介されました。
久しぶりに誰にも気を使わず3人で寝ることが出来ましたがお世辞にも快適な宿とはいえません。アルベルゲのすばらしさを実感しました。食料の調達にスーパーへ行きました。さすが大都会です。品物は豊富です。


スーパーマーケット店内

6月11日(日)ブルゴス〜ホンタナス 29.5キロ 44,934歩(しっかり40,175歩)

昨日はさすがに疲れました。今朝は7時まで寝坊をしてしまいました。

世界遺産のブルゴス大聖堂です。ここでは巡礼者達は先を急がずカテドラルへ立ち寄るようです。日曜日のせいか、観光客も多くて中は大変混雑していました。赤ちゃんを連れた若夫婦やフランス組にも出会いました。さすがスペイン三大ゴシック建築のカテドラル見ごたえがありました。拝観料は3ユーロただし私達巡礼者はクレデンシャル提示で1ユーロでした。

昼近くから巡礼再開です。昨夜泊まる筈だったアルベルゲへ到着しました。10時過ぎると誰もいません。きれいなアルベルゲでした。少し行った所でバルを見つけ昼食を済ませました。

ホンタナスまで標高100m位アップダウンを3つほど超えます。
お昼から歩き出したので19キロ地点にあるアルベルゲでと思っていましたが、ホンタナスにプチホテルのような私営アルベルゲがあるという情報にそこまで頑張ろうということになりました

初めの頃はフランスのオーガスティンとお話しながら歩いていました。もちろん足が長くて若い彼についていけるはずもなく回りは私達3人だけです。ラベ・デ・ラス・カルサーダスからのアップダウンはメセタの大地が何処までも続く。始めは“ワーア360℃のパノラマよ”なんて乙女のような声を出して喜んでいたおばさん達だがそのうち寡黙になる。


メセタの大地

18時半過ぎ建物が見えます。疲れが極限に来ている2人を待たせて確認に行く一応はアルベルゲだが少し贅沢を覚えたおばさん向きではない。途方にくれているとホスピターレのご好意で無事ホンタナスへの送っていただくこととなった。

19時を過ぎてホンタナスへ到着。プチホテルは勿論満杯でした。でも、案内されたアルベルゲには顔なじみがいっぱい、みんなの優しい笑顔や歓迎の声に疲れもなくなっていました。シャワー、洗濯を済ませ例のプチホテルのような宿でいつもより遅めの食事をして就寝!2段ベッド最高!

旅をしていると世の中には、こんなにたくさん良い人がいると感じてしまいます。
何故争いごとがあるのか理解できません(^。^)

又、以前オランダのコラムを書いた時、読者の方から感想文を事務局経由で頂いただきました。
とても感激いたしました。遅くなりましたがお礼申し上げます。
今でも保存して時々拝見して励みにしております。

2006年1月30日

ぶらりさん自己紹介


世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4〜10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。