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ぶらり・ぶら〜り by ぶらり

第43回 サンチャゴ巡礼道900キロの旅 part10

6月5日エル・ガンソ(El Ganso)〜エル・アセボ(El Acebo)41225(34907)23.4km

広い屋根裏部屋を2人占領で久々にゆっくりと寝ることができた。
7:00今日も朝陽に気持ちを奮い立たせて出発です。

ここからはなだらかな上り坂、充分な睡眠のおかげか、たいした坂には感じなかった。途中、自転車は直進、人(pie)は右折の黄色い矢印。この矢印は私たちの一番の味方。

8:45Rabanal del caminoに到着。カフェで小休止。このカフェはレストラン、ホステル、アルベルゲのある建物だった。ほとんどのアルベルゲは8時チェックアウトなので窓から見える2段ベッドの部屋には誰もいなかった。

小休止後上り坂は7.6キロ続く。前を行く青年もカメラに建物を収める、歩き始めは多少の上り坂でも余裕がある。私もAも同じ写真を撮っていた。町を出ると青年の姿、A、そして私の影がまだ一枚の写真に収まった。さらに上りは続く。もう青年の姿は無く黄色い矢印が頼りになる。

10:00 パウロ・コエーリョ著「星の巡礼」では廃村となっていたフォンセバンドン(Foncebndon)に到着する。アルベルゲがある。犬やアヒル?もいる。アルベルゲ以外住民はいない様子。パウロ氏の本では犬は人を襲う恐ろしい存在だが、なんと安心しきっているわんちゃん。その姿をご覧ください。オット!のんびりしてはいられないこれからがイラゴ峠越え。

11:00 1.9キロの上り坂を歩くとLa Cruz de Hierro 鉄の十字架が見えてきた。巡礼が道中無事を祈って自分の名前を書いた石を投げた場所。長い年月を経て石の小高い丘ができている。少し遅れてスペイン4人組も着てお互い写真撮影。この4人組とはサンチャゴまで何かと縁があり私たちは助けられることが多々あった。この先がイラゴ峠の頂上。さらに2.2キロのなだらかな下り坂を歩く。

12:25有名なManjarinマンハリン。ここも廃村だったが今はオスピタレイロのトマスのアルベルゲがある。トマスさんに会うのを楽しみにしていたのだが有名人の彼は携帯電話でずっと話していて忙しそうだった。ぜひ彼と話をしたかったが待ちきれなくて先へ進む。次の町まで6.9キロある。

次のEl Aceboエルアセボまで下り坂のはずだが結構上り坂もあった。しかし、眺めは最高!しかし道ばかりが続く。途中から誰もいない私達2人だけの世界だった。やっとエルアセボの町が見え始めたのは14:45になっていた。
もうぺこぺこ状態だった。アルベルゲ!レストラン!どこだどこだ!

レストランを見つけとりあえず食事である。ちょっと落ち着いた気がつくとここはアルベルゲ!カウンターでは5,6人が行列を作っている。そうだベッド、ベッドだ。とりあえず注文だけしてベッドを確保しなくては!
ベッドを確保して、巡礼メニューで空腹を満たした後はシャワー、洗濯。18時近いのにじりじりと太陽が照りつける。おかげで洗濯物もあっという間に乾いてしまう。

遅い昼食に私はもう夕食はパスだが、同行のAはしっかりとパスタを注文彼女の元気はこの食欲にあるらしい。


洗濯干し場


ディナータイム

昔の巡礼にはなかったものに現代はデジカメや携帯の充電がある。電源の確保も早いもの勝である。ベッドを決める時、コンセントが側にあるのを確認も大事なことである。私達はとうとう巡礼が終わるまで要領を得なかった。だが何とかなるものだ。日本製は人気があるので盗難に気をつけるようにとアドヴァイスを受けたが、幸い一度も盗難にあうことはなかった。

6月6日エル・アセボ(El Acebo)〜カカベジョス(Cacabelos)51325(43565)31.3km

6:15出発Morinasecaまで8キロの山道を歩く。8:00バナナを食す。Morinasecaは教会と橋がある中世へタイムスリップをしたような風景の美しい村である。途中山の中では樹木が焼けたように見えたが、後で調べると2003年と2006年に山火事に見舞われたようだ。

Morinasecaの出口のホテルでクロワッサンとカフェの朝食を済ませ8キロ先のPonferradaポンフェラーダへ向かう。町を出て直ぐ教会の外私達巡礼の為のベッドだろうか2段ベッドがずらりさすがに私達はまだ外で過ごしたことはなかった。

ブドウ畑の中の上り下りを繰り返す。途中畑の側にさくらんぼ!このさくらんぼ巡礼者にとっては嬉しい果実なのである。いただいてもかまわないさくらんぼだけいただきました。広い平野に出ると遠くにポンフェラーダの町が見えた。

11:00ポンフェラーダに到着。ここは大きな街だ。
ポンフェラーダはローマ時代の街9世紀にサンテイアゴの遺骸が発見された街。1082年アストルガ司教押すムンドは木の危ない橋に造り替えた。この鉄の橋ポンス・フェラータPons Ferrataが街の名前になった。1178年テンプル騎士団の防備にあたりローマ時代広場があった場所に現在の城を建設した。城は1312年のテンプル騎士団解散以後、持ち主は何度も変わっていくが、ポンフェラーダのシンポルとして、今でも巡礼を支えている。(中谷 光月子 著 サンティアゴ巡礼へ行こう!より)

昼食後歩き出すが、他の巡礼者がいない!ホタテも矢印もない!不安なまま先へ進む。何度道を聞いてもサンチャゴの方向だといわれる。6キロ以上歩いたところでやはり巡礼路ではないことが判明。しかし、確かにサンチャゴへ通じている。「?Esto es El Camaino de Santiago ?この道はサンチャゴへの道?」と問えば聞かれた人はそのとおりと答え、事は当然だった。

中谷さんの本にも迷いやすいと書いてあった、そのコピー、昨夜読んでいたのにすっかり忘れていたのだ。このまま歩けばカンポナラージャへ着く。私達には戻って歩きなおす気力はもうなかった。暑さ、アスファルトの道、国道を走る車どれも疲労を増すものばかりだった。

それでもカンポナラージャに到着してバルで一杯のコーヒーと先着の巡礼仲間との他愛無い会話ですっかり元気を取り戻した。午後2時5.7キロ先のcacabelosのアルベルゲへ向かって巡礼開始。
若き先輩巡礼Mちゃんから2人部屋のアルベルゲがあるとのの情報を得ていた。

ブドウ畑の中を歩く。カカベジョスの名前を見てほっとするがアルベルゲではなく小さな公園、さらに歩く。やっと街に入る。アルベルゲは何処?レストランホテルが軒並みあるがアルベルゲではない。やっと町外れにすばらしい教会、そこが私達の目指したアルベルゲだった。2部屋が並ぶこのアルベルゲ76名が泊まれるここに私達は65,66番目の訪問者だった。15時40分

シャワーを浴び洗濯をする。5時過ぎても相変わらず照り返しが強い。久々に寝袋を虫干し。それに本当に2人部屋なのだ。日本語を勉強中のマカオのシンキ、ドイツの青年マイタと4人で夕食をともにする。レストランに行くと全員は巡礼者。折り紙が取り持ち大いに盛り上がる。宿に戻るとアストルガで知り合った大阪の男性に再会。彼は日本をアピールするのだと着物姿。ちょっと写真はぼけているが雰囲気を感じていただきたい。交流は暗くなるまで続きました。

2007年11月26日

ぶらりさん自己紹介


世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4〜10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。