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ぶらり・ぶら〜り by ぶらり

第45回 サンチャゴ巡礼道900キロの旅 part11

6月7日カカベジョス(Cacabelos)〜アンバスメスタス(Ambasmestas)39162(しっかり32330)21.8km

ここカカベジョスのアルベルゲは忘れられないアルベルゲのひとつになりそうです。開いた扉は早朝に誰かが出発したのでしょう、便利な洗濯場はきっとボランテイアのホスピターレの方々が整理整頓をしてくださったのでしょう。たくさんの思い出をいただいて7:30am出発。

ぶどう畑を左右に見ながら、なだらかな上り坂を歩き出す。
途中分かれ道で幹線を歩くか山道を歩くか選択をしなくてはいけない。便利だがやはり車の通る道はさけましょう。お天気も上々だし!小さな部落を通過する時に珍しく緑の矢印とホタテ?

山道を歩き8時40分「飲み物、コーヒー、朝食にサンドイッチ!」なんて看板に誘われ朝食タイムをとることにする。食事後再び歩き始めた頃に昨夜知り合ったマカオのシンキが追いついてきた。
先で知り合いが待っているからと重い荷物をしょって遠ざかっていった。もう会うことも無いかも知れないと背中にエールを送った。彼女と驚きの再会をすることになるとはその時思いもよらなかった。

ブドウ畑を更に歩き続ける、途中小さな村を通過。この巡礼では山や畑を歩くが、その合間に小さな村がある。
巡礼を歩くにあたりたくさんの資料を読んだ。誰の文章だったか思い出せないのだが、「東京は街の入り口と出口が無い」とスペインの友が語ったといった内容があったのを思い出した。

巡礼をしていてほっとするのは、山道を黙々と歩いていてふっと顔を見上げると人家が遠くに見えてくるとき。
「ああ!村だ!バル?アルベルゲ?」その時の体調によるがあのなんともいえない期待感がたまらない!

村に入り(時には大都会の時もあるが・・)地元の方との出会い、何も無い村、バルでのひと時ナドナド。
なるほど村の出口がある、そこを出ると畑だったり山道だったり。こういうことだったのかと納得。東京にも、他の都市にも確かに入り口出口はあるのだが確かに出入り口がわかり易い!

9時30分許される町ヴィヤフランカ・デル・ビエルソ着。その昔600キロ以上も歩きながら様々のことで後183kmを残して無念にも旅を断念しなければならなかった巡礼者達を哀れに思い、12世紀、ひとりの法王は「許しの門」をくぐることによってサンチャゴに着いたと同じ免罪を受けられると宣言した。巡礼者達はここの教会の門をくぐれば旅を最後まで終えなくても神の許しを受けられたのだ。

もうひとつここには有名な手づくりのアルベルゲがある。15年前より、世界中から訪れた巡礼者達の手によって作られたアルベルゲが、教会の後ろにある。ここでお手伝いがしたいと思っていたがすでにそのアルゲルゲは出来上がっていた。建設のリーダーへスス氏ともお会いできた。宿泊できなかったことが残念だった。日本人の巡礼者も建設に携わったのだろう、日本語の表札がある。

許しの門はすでに観光地となっていて観光客が車で乗り付けて来る。サンチャゴに向かって巡礼開始。道はLas Herreriasまでは少しの勾配で歩いていても気がつかない程度。しかし途中旧道が川に沿ってあるのだが、国道にも沿っていて車の通りが多くてつらい道だった。今日は暑い!皆が段々と近い所で泊まり始める。素敵なアルベルゲがたくさんある。この辺からフランスの道は観光化してきたように思える。

私達は巡礼の先輩Mちゃんがホスピターレをしていたというアンバスメスタスまで行ってみたいと思っていたので頑張ってみた。オーナーが、お子さんが出来るので閉めるとのことだったが、偶然に泊まったアルベルゲがその宿だった。聞いていた通り清潔で快適な宿だった。同行のAさんがMちゃんの写真を見てもらいお互いの距離がぐっと近くなりました。Aさんのプレゼントした手ぬぐいを早速鉢巻にしてはいポーズ!3ヶ月のルイスちゃんを中心に幸せいっぱいでした。このアルベルゲは全てルイスちゃんが中心です。夜の9時から翌朝まではプライベートタイムをしっかり守ります。今夜のうちにお互い挨拶を交わしおやすみなさいzzzzz…

6月8日アンバスメスタス(Ambasmestas)〜フォンフリア(Fonfria)43706(33438)19.2km

午前7時出発。約5キロ先までにベガ・デ・バルカルセ,ルイテラン,ラス・エレリーアスと小さな村が3つあります。Mちゃんの情報でエレリーアスに素敵なテラス付きのBarで朝食を予定していたのですが、早朝のためまだ開いていません。仕方なく手持ちのもので済ませます。
この5キロはきれいな家、しゃれたレストラン、緑豊かな草原や小川と心豊かになる風景が続きました。
途中放牧のための牛の散歩は迫力がありました。

8時半ここからはLa fabaまで3.7キロ胸突き八丁上り坂です。ここから今回巡礼のハイライトセブレイロ峠へ向かいます。のどかなエレリーアスの村を離れると石だらけの急な坂をひたすら上ります。1時間ほど歩きやっとfabaに到着。バルやアルベルゲがあります。
小雨が降り出しました。ひとまずバルで暖かいカフェコンレチェを頂ます。

峠まで地図では4.8キロなのですが4キロの標識!これがスペイン!どちらでも良いのです。峠まで歩くことだけは確かです。この頃から私は自分の体調が本調子で無いことを感じます。峠の途中でハエが払っても払っても顔に止まります。

アフリカの体の弱った子供達の顔にハエが集るのを見たことがあります。体が弱っているのが解るのでしょうか?私はそんなに弱っているのだろうか?などと思いながら歩いていました。その頃にはもう雨はやんでいました。

サンテイアゴまで後152.5kmの標識です。目の前に豚ちゃんの顔に心が和みます。振り向くとこんなに上ってきたのかと元気づけられます。

いよいよガルシア州へ入ります。前を歩いていたグラナダ出身の2人の女性と合流ガルシア州ルゴ県入り口の記念碑の前で記念撮影!体調も大分回復し峠まで約600mです。

12時前には到着、元気なAさんと教会の前で再会。教会の前にはケルト人の住居だったパジョッサが博物館として公開されている。Aさんは昼食を一緒にしようと待っていてくれた。野菜スープ、ジュースで生き返る。

すっかり観光化したこの峠にはレストラン、お土産や、ホテル、アルベルゲと賑やかなところでした。途中知り合ったグラナダのピポサさんもご主人と合流。記念撮影後“ブエン・カミーノ”とお互いエールを掛け合いお別れ。ここで宿泊の顔なじみとも再会を約束して私達は3.2km先のリニャーレスを目指し下る。

リニャーレスのバルで一休み、やはり下りは足に来る、注意が大切!峠で宿を探していたスコットランドの男性と日本の女性のご夫婦が降りてくる。やはり峠は高いので先へ行き泊まるとの事。彼らも忘れられない人たちとなる。彼女は土浦の人で彼は留学を含め8年もつくばで暮らした通称マー君。日本語が達者で何度も私達は彼らに助けられました。

そこから900mを少し上るとサン・ロケ峠春の巡礼像がユニーク。これを見て素通りするわけには行きません“ハイポーズ!”Aさんは相変わらず元気です。ホスピタルにアルベルゲが見えますが、すでに先に進んでいます。

後でわかったことですが、既にホスピタルのアルベルゲは満員だったらしい。パドルネロ村を通りますがバルも開いていません。暑い!ポイオ峠への上りです。上りきるとバルがありました。皆が休んでいます。ここはアルベルゲでも満員でした。3.4キロ先のフォンフリアまで進むしかありません。宿が取れなかった我々を含み8名は歩き始めます。

雲行きが怪しくなります。雷の響きが、やはりここはガルシア。屋久島と同じで雨の多い地域です。さすが晴れ女の私もかないません。

4時20分フォンフリアへ到着。スコールのような雨が突然降り出します。ああ間に合ったと思ったのもつかの間、宿は満杯。何とかならないのか?「シャワーを使いたい?ガレージでよければ3ユーロでいいよ」との事。寝袋がある、とりあえず寝ることが出来ればありがたい。ガレージに行くと簡易テントが3張りあった。
とりあえず寝る支度をしていると長身のスペインの青年が自分達のテントを提供すると申し出てくれた。

疲れているのはみな同じなのだからと一度はお断りしたのだが「スペインの男は強くてやさしいんだよ」と嬉しいお言葉。ではお言葉に甘えて感謝感謝の夜でした。

ガレージにはコインランドリーがあり大助かりでした。寝る支度が終わりさて食事!レストランへ行くと巡礼者達が集まっている。「何事?」聞けばこれからパーテイだとかもちろん私達も参加OK。なんと神様は優しいお方!本日はガルシア料理の巡礼メニュー、場所はパジョッサを模したメゾン・BAR、8時スタート!

先ずは赤ワインで乾杯から、宴もたけなわ席の近くの方々に挨拶代わりに折り紙をご披露すると予想以上に反応があり全体で盛り上がりました。ワインも手伝って、日ごろダンベルの教室で頭の体操代わりにやっているゲームもご披露させていただいた。片方上下♪1・2,1・2♪片方は三角♪1・2・3,1・2・3♪スペイン語で♪ウノ・ドス、ウノ・ドス♪♪ウノ・ドス・トレス♪ドイツ語で♪アイン・ツヴァイ♪♪アイン・ツヴァイ・ドライ♪これも大うけ。

パーテイ後も折り紙教室で夜が更けました。たった2人の日本のおばさんはがんばりましたo(^o^)o
最後に寄付を2ユーロさせていただきました。すっかり皆さんと仲良くなりガレージも悪くないと思いながら漠睡zzzzz

2008年1月29日

ぶらりさん自己紹介


世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4〜10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。