第52回
千古の歴史を伝える鹿島神宮で森林浴
ここ20年以上毎年「異常気象」の文字を見ている気がする。
暑い暑いと言っていても涼しくなる訳ではない。
ぶらりの家にエアコンはもちろん扇風機さえ無く、団扇だけは売る程ある。
姉は夏には貴方の家には行かないと言われてしまった。
しかし、慣れてみれば大した事ではなく、窓を開ければ風が時間によっては入ってくる。
それに365日のうち夏は短い!
そこで、暑い夏には鹿島神宮の森がおすすめです。
車で行くのも良いが電車で水戸経由か成田経由で行かれてはいかがでしょうか?
青春18切符を使えば一日2,300円でたっぷり楽しむ事が出来ます。
鹿島神宮駅を降りると駅前に観光案内所があります。
そこでマップを手に入れるのも良いですね。
ぶらりのようにアル中(歩く中毒)の方には「鹿島ゆうウオーク」なるコースが用意されています。「えっこの暑い中歩くの」と思われる方は無理をなさらずに駅前にはタクシーが待っています。でも、途中塚原卜伝の銅像に立ち寄り参道を通り、神宮までは約1kmを一寸歩かれてはいかがでしょうか?
ウオークのコースは駅から観光案内所を通り過ぎて右方向へ行きます。
「鹿島ゆうウオーク」の案内板があります。鹿島線を眺めながら案内板の指示に従い歩きます。鹿島城山公園に立寄ります。鹿島城は鎌倉時代初期から戦国時代にかけての約400年間、鹿島氏の居城であった。400本の桜が植えられている春も楽しみな所です。
元の道に戻り道なりに行くと右手に鎌足神社。
天智天皇に仕え、645年大化の改心を断行した藤原鎌足を祭る神社です。
歴史書「大鏡」には、鎌足は鹿島神宮鎮座する地で出生したとあります。
鎌足神社の近くに根本寺と芭蕉の句碑があります。
聖徳太子の開基と伝えられる寺で、仏頂和尚の禅の師と仰ぐ俳聖、松尾芭蕉も貞享4年(1687)にここへ月見に訪れています。その様子は「鹿島紀行」にも記されており、境内には“月はやし梢は雨をまちながら”などの句碑も建てられています。
暑いけど一寸坂を上ります。再び駅近くに戻ると塚原卜伝の銅像です。剣聖塚原卜伝生誕500年を記念して銅像がJR鹿島神宮駅近くの公園に建立されました。
卜伝には数々の武勇伝が残っております。しかし宮本武蔵とのなべぶた試合の話は卜伝死去10年後の武蔵誕生であるので事実ではないようです。
銅像から600mの地点から鹿島神宮です。うっそうとした森の中に神宮があります。
天然記念物になっている鹿島神宮の森は20万坪に及ぶ植物の宝庫。
800種を超える植物が繁茂し、照葉樹林の北限としても重要。
この神宮の中をゆっくり、歴史を感じながら見学もかねてお散歩はいかがでしょうか?
神宮の中を少しご紹介しましょう。
立派な大鳥居を抜けると奥参道です。左側に手水舎があります。
その正面には緑の中にひときわあざやかな朱色の楼門があります。この楼門は寛永11(1634)、徳川頼房公が奉納したこの門は「日本三大楼門」の一つ。
楼門をくぐり先へ進みます。左側に社務所、宝物殿(国宝の直刀等が拝観できる)右側に本殿(当神宮の社殿はその昔伊勢の神宮のように20年ごとに造営が行われていたが、現在の社殿は言和5年〔1619〕二代将軍徳川秀忠公により奉納された)がある。
先へ進むと鹿園があります。鹿島神宮周辺野森には、かつて多くの鹿が棲息していました。その歴史を伝えるニホンジカが飼育されています。
突き当たりまで進むと右手は奥宮です。慶長10年(1605)将軍徳川家康公が本殿として奉納されたものを元和の造営の際に引き移したものです。
そのまま奥に進むと要石があります。これは頭頂部だけがわずかに露出している霊石。鹿島神宮の大神が降臨した御座とも,地震を起こす大鯰の頭をおさえている鎭石ともいわれています。徳川光圀の『水戸黄門仁徳録』には、家来に掘らせてみたがあまりに巨大で「七日七夜掘ってもほりきれず」との記述がある。
奥宮まで戻り藤棚や御手洗池へ進みます。神宮の園地になっていて、大きなみたらし団子が名物の茶店が2軒ある。奥宮からの道はすくっと伸びた杉の木がすばらしい。
ただし花粉症の方は、3月頃はさけられた方が良さそうです。
※鹿島神宮のご紹介には鹿島神宮社務所のパンフレットを参考にさせていただきました。
2008年8月25日 |