子連れ主婦のお気楽グルメ日記
第91回 東北地方太平洋沖地震 (2011/03/22)
この度の東北地方太平洋沖地震で亡くなられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災されました方々に心よりのお見舞いを申しあげます。
被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申しあげます。
つくばの皆さん、あの怖かった地震後いかがお過ごしですか?
いつもはお気楽なグルメ日記を連載させていただいているのですが、
毎日、テレビやインターネットで目にする信じられない被害の大きさや、
いまもまだ、行方不明者や避難所生活を強いられている方がいると思うと
胸が痛み、今回は、のんきに遊んでいるコラムを書くのはやめたいと思います。
もう地震の話なんか聞きたくないからグルメ日記でも読もうと思ったのに!
という方。本当にごめんなさい。
私は、千年に一度と言われるこの地震を子連れで体験した者として、
県北や東北地方など、被害の大きい地域とは比べものにならないけれど、
被災地のひとつであるつくばの『あの日』、とある主婦が体験したことを
ここに記録しておきたいと思います。
2011年3月11日午後2時46分頃、マグニチュード9.0を記録する地震が、
東北地方太平洋沖で発生しました。
その時私は、前日より熱を出し小学校を休んでいる11歳児と共に、
自宅のリビングにいました。
「あ・・・地震・・・」
初めは、いつもと同じ軽い地震だろうと高をくくっていました。
しかし、体感したことのない揺れの大きさになるまで、
あっという間だったと思います。
思わず身の危険を感じ、怖がる11歳児を抱きかかえるように部屋の中央に移動し、
座り込みました。
なかなか揺れが止まらず、家のあちこちで物の落ちる音が。
引き戸タイプの食器棚の扉が、徐々に開いていくのが見えます・・・
11歳児もそれに気が付き、「ママ、食器が落ちちゃうっ!」と教えてくれるのですが、
「怪我をしたら、元も子もないから!行かない方がいいよ・・・」
と答えるのが精一杯でした。
しばらくし、少し揺れがおさまったとき、
『避難経路を確保しなきゃ!』と初めて頭が回る始末。
慌てて玄関に行ってみると、靴棚の上に飾ってあったガラス製品が落ち、
出してあったシューズの上に破片が飛び散っていました。
『これじゃぁ、すぐに避難もできないじゃない・・・』
その後も大きな余震が続くため、熱のある11歳児を連れ、
6歳児の幼稚園まで急いで車を走らせました。
西大通りを車で20分ほどの距離なのですが、停電のため信号が止まっており、
右折できない車。車。車。
道路に面した大きなガラスが割れているビル、瓦が落ちている家、倒れた塀。
見慣れたコンビニやレストランなどのお店も電気が消えていて、
まだ夕方にもかかわらず、ひどく暗いと感じたことを覚えています。
園庭に乗り入れられた幼稚園バスの中から、6歳児が無事に顔を見せてくれたときには、
本当に本当にほっとしました。
仕事で東京に出かけていた主人とも、なんとか連絡がつき、
帰宅難民回避のため、今日は仕事場に泊まるとのこと。
余震が続く中、自宅付近はなんとか停電を免れたものの、オール電化住宅のため、
いつ電気が止まってしまうかと心配がつきませんでした。
テレビからの情報は常にチェックしていましたが、
インターネットによる、地元情報までは気が回っていなかった夜10時過ぎ。
不意にインターホンが鳴り、ご近所の旦那様が。
「ネットをチェックしていたら、今夜12時から断水との情報を得ました」
と教えに来て下さったのです。
それから急いでお風呂やバケツ、空いた2リットルのペットボトルに
貯水を開始したのは言うまでもありません。
これまで私は、あまりご近所付き合いがよかった方ではありませんでした。
それでも、こうやって電話もつながらないなか、
重要なお知らせを届けてくれる人がいる。
昼間にも、ご近所の奥様が「大丈夫でしたか?」と戸を叩いてくれました。
本当に、ありがたいことです。
今回の大地震、原発事故、また津波の残した傷跡はとても深く、
節電や、義援金に協力するぐらいしかできない無力さが歯がゆいです。
でも、人と人との繋がりはとても尊いもの。
必ずや、復興できると信じています。