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ぶらり・ぶら~り

第97回 主婦の長期休暇第2弾 65才記念・スペイン巡礼の旅(2) (2012/08/29)

Part2「北の道・・・La Costa」1

1日目(’12年4月18日):パリ・モンパルナス8:25発~イルン14:46着(TGV8515)

モンパルナス駅で昼食を購入。終点イルンまで乗り換えなしです。

イルン到着で、さてどの方向へ行けば?兎に角、駅を出ようと思った瞬間、銃を抱えた2人の男性に行く手を阻まれます。ドッキリ!

イルン(バスク語:Irun)は、スペイン、バスク州、ギプスコア県の都市。フランスとの国境にある。ユーロになり、以前よりは国境の認識が薄くなっています。以前は車内を怖そうな係員が一人一人チェックしていました。今は、国によっては全くフリーパスの様な時も有ります。

パスポートを提示したところ何の問題も無くパスです。
歩いている時に矢印を探しながら進むのですが、乗り物から降りた時に矢印を見つけるのは大変です。そんなときは、通りがかりの人に「Donde esta Alberge?」(アルベルゲは何処ですか)大きな荷物を背負ったペリグリーノに人々は優しかった。

イルン駅ホーム

イルン駅ホーム

ホームの階段とエスカレーターを上がると通り

ホームの階段とエスカレーターを上がると通り

辿り着いたアルベルゲはまだ空いてない、5時にホスピタリティが来るようである。

ホスピタリティ:ホスピタリティの語源はラテン語のhospesからきているようです。本来の意味は、巡礼者や旅人を寺院などに泊めて手厚くもてなす人という意味。四国のお接待に似ています。Camino de Santiago 中にある沢山のアルベルゲでは、ホスピタリティの形もいろいろでした。もちろん、どこのホスピタリティに対しても感謝の念を持たずには居られません。

イルンのアルベルゲのホスピタリティは牧師さんの様な穏やかな方でした。宿代はDonativo(寄付)、朝食も用意してくださいました。5年前と同じで、ここで私達はクレデンシャルを発行して頂きました。ここでは無料でしたがその後の2回は有料でした。一緒に行ったAは途中別行動だったのですが無料ダッタそうです。クレデンシャルもいろいろですね。

クレデンシャルは巡礼者の身分証明書の様なもので、アルベルゲの受付時パスポートと一緒に提示します。

その日一番にアルベルゲに到着した私達は、ベッド選びも一番でした。このベッド選びもアルベルゲやホスピタリティで様々です。私達が歩き始めた4月はオフシーズンでまだ閉まっている所も有ります。何時からかは解らないが、ガルシアのアルベルゲは施設もかなり充実していて常駐のホスピタリティが居た。宿代も5ユーロに統一され、手続きが終ると必ず領収書と不織布のシーツ、枕カバーが渡される。

イルンのホスピタリティ

イルンのホスピタリティ

クレデンシャル

クレデンシャル

ガルシア・領収書

ガルシア・領収書

次のアルベルゲまで歩ききれないときが、時々有りました。そんな時、私営のアルベルゲが有ればそこにも泊まります。私営のアルベルゲは平均10ユーロ、Donativo(寄付)の所も有りました。私営アルベルゲはホスピタリティの特色が出ます。洗濯をしてくれる所が多く助かりました。私の泊まった所は日本人贔屓の方が多く、良くして頂きました。

後はユース、ペンションやホステルも有ります。日本のホテルを思えばかなり安いのですが、アルベルゲの生活が慣れると決心に少し時間を要します。大体15~30ユーロ位です。
ユースは設備が良くてwifiも使えて良かった!1泊だけアルベルゲプライスで3ユーロ安かった。

一番乗りしたイルンの宿、ベッドは迷う程選択の余地があったのに、こじんまりとした4人部屋、空いている2つのベッド、最後にフランスのいびきおじさんが入って来て最悪の一夜となった。いびき位で眠れないなど経験の無い私だったが、この日の洗礼以来、4回くらいどうしても眠れない夜を経験して、耳栓を買ってしまいました。

巡礼者にとって最も大切な道しるべ、黄色い矢印やホタテ等、数々のものが有ります。
折々にどんなものか写真に撮って来ましたのでご覧頂きます。

撮った写真を見ると随分有るのに私自身も驚いています。あまり下調べをしない私にとっては、この標識が頼りです。あまり調べるとそれに縛られて自由が無くなる気がするのです。

巡礼はやはり程々の前知識くらいが良いように思えます。歩き終わった所に宿が無いなんて事も有りましたが、何とかなるようです。是も旅の良き思い出となります。

この標識は全て自然に出来たものではなく、巡礼者の為に沢山の人々の手間がかけられたという事です。ありがとうございました♪

2ヶ月間不思議なお導きが沢山ありました。人との出会い、沢山の人々の温かい心を頂きました。不思議な出会いや出来事があったのですが、今回も信者にはなれませんでした。


町なかで見つかる矢印は、比較的に解り易い

※irunからsantiagoまでは850k。これから書かれる歩数計と距離の数字は私達の歩いた実際の数字。町を見物したリ迷ったりした数字の時もあるので合計はsantiagoまでの距離とは違って来ますので参考として見てください。

2日目(4月19日)27578h歩18.2k:Irun~Pasahes De Sanjuan/Pasaia Donibane

巡礼の初日は、出発直後から雨。ほぼ山道ばかり、初日から泥濘の洗礼を受ける。サンセバスチャンまで行きたかったが本日は7.7k手前の高台にあるひなびた港町のアルベルゲで宿泊。まだ体が慣れてなくて背中の荷物がずしり!5年の歳月を重ねたと感じる。

ここは元教会、ホスピタリティはシニアのご夫婦。その日のペリグリーノは私達2人とオランダの教師ケビンの3人だった。宿代はDonativode3ユーロを支払う。

ベッドも部屋も清潔だが食事をしたりお茶を飲んだりする場所が充分に無く、食事は基本的には外食らしい。お湯は彼らのプライベートルームにある電子レンジで”チン!“としてもらうしか無かった。翌朝お願いすると「妻がまだ寝ているから」との事だった。寒いので温かい飲み物が無性に欲しかった。

高台のアルベルゲへ黄色い矢印

高台のアルベルゲへ黄色い矢印

2日目のアルベルゲ

2日目のアルベルゲ

3日目(4月20日)22828h歩14k: Pasahes De Sanjuan/Pasaia Donibane ~San sebastian

先ず出発後は高台から階段を下り渡し船で対岸まで行きます。
下船後はいきなり胸突き八丁の階段です。その後もアップダウンが続きました。11:30、遠くにサンセバスチャンを遠くに望む高台のユースに到着。昨夜一緒だったケビンがCoffee break です。

彼の歩きには余裕が有ります。決して急がず、歩きを楽しんでいます。サンセバスチャンは見所が多いので今日はあそこで泊まりだと言うのです。私達は彼の姿勢に学びました。がむしゃらに歩くのでなくその時その時を大切に歩く事を!

この日は私達もバスク地方の避暑地である歴史の有るこの町を見学する事にし、先へは進まずサンセバスチャンのユース泊まることにした。

昼食に始まり夕方まで観光の合間にタパスを楽しむ。ここはタパス発祥の美食の町でもある

タパス:一言でスペインのおつまみ。下記のサイトを参照願いたい。
場所に寄ってはビールやワインを注文するとタパスが無料で付いてくるところもある。又同じ店で何度も飲み物やタパスを注文しないでお店をはしごするのが上手なタパスの楽しみ方だと教わった。因に私は赤ワイン派。

http://www.tees.ne.jp/~emilio/VivaSpain/tapas.htm
http://www.jspanish.com/yomimono/gourmet/gourmet03.html

5時から開いたカテドラルでは「マザーテレサ1生涯のパネル展」が開催されていた。30枚のパネル、心打つひと時だった。

本日の宿はサンセバスチャン出口近いユース、イルンで知り合ったベルギーのRonald&Jo(よう)夫妻とケビンも同じ宿だった。この3人とは所々で出会い何故か私達おばさんコンビと気が合った。

ここではwifiの状況が良くメールが出来た。今回荷物を軽くする為にipodtouchを活用。

4日目(4月21日)22324歩14k:San Sebastian~Orio

この日も寒く時々雨、コースはアップダウン満載だった。雨もアップダウンも解っていた事だから良い!でも泥濘は・・・重い背中に堪えた。
そんな中で、美しく可憐な花、心をホットさせてくれる海の景色に助けられる。


又、巡礼者のために飲めないもの飲めるものの知らせがあり、人のぬくもりを感じさせてくれました。Potableとはスペイン語で飲めるという意味。

標高300mの山越えが終る。私営のアルベルゲに宿泊10ユーロ。台所もあった。
手持ちの食料で夕食を済ませる。そんな中、地元のテレビ局の取材を受けるが、放映はされたかどうか不明。巡礼者の味方、簡易脱水機助かる!

このように今回、北の道巡礼の始まりは雨と泥濘との格闘から始まりました。
歩き始めて丸3日経ち歩いた距離は66k。Santiago まで784kです。私達にはたっぷり70日あります。急ぐ事は有りません。
それにしてもOrioのアルベルゲは寒かった!wifiなし。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。