ぶらり・ぶら~り
第100回 主婦の長期休暇第2弾 65才記念・スペイン巡礼の旅(5) (2012/11/26)
Part2「北の道・・・La Costa」4
19日目(5月6日)23,668歩16.2k : Comillas~San Vicente De La Barquera~(バス)~Unquera
本日足の状態があまり良く無い。ゆっくり歩く事にしよう。足の状態だけでなく体も疲れていたのか?12時頃San Vicente De La Barqueraに到着するまでの記憶があまり無い。矢印を辿りながら日々同じ景色を淡々と歩いていたのだろう。近く遠く感じる長い石橋眺めながら坂を下りた頃からの記憶が蘇る。
この長い橋は15世紀に建設が始まり川向のMarenera村への交通が出来るようになったとか? この村には13世紀の城があります。カトリック両王(カスティーリャのイザベラ女王とアラゴンのフェルデナンド王)がこの城を牢獄として使用していたこともあるそうです。
私より早く到着していたAと合流後、海鮮料理でランチでした。Aは海鮮料理が大好物、ちょっと高価でしたがたまには美味しいものも食べようと奮発です。
食後巡礼路にもなっているCastillaを、見学途中ナーニの息子と遭遇、足を痛めた彼は母親とUnqueraで待ち合わせ、16時20分発のバスに乗るとの情報で、足の状態と疲れで私達もご一緒する事になる。お陰で牢獄にも使用されたというこの城の見学をゆっくりする事が出来た。
Unqueraに到着後漠然と母親を捜すという彼だった。さすが親子、何か通じるものがあるのか5分もしないうちに親子ご対面!ところが、予定通りに到着していた母は目が吊り上がっている。可成りの時間待っていたのだろう。その日は日曜日私達が乗ったバスしか無かったのだ。ナーニの怒りに何とか終止符を打つ事ができ、さて何処に泊まる?
私達(?)を待つ間に目星をつけていたホステルへ、一部屋25ユーロ!1つ星結構いけます。
20日目(5月7日) 26,674歩18.1k : Unquera~Llanes
ここからAstuias州に移りホタテの方向が逆方向を示す。
本日は100数m高低の山を2つ超える。ホステルを出て橋を渡るといきなり上り坂、童話の国にいる気分になる可愛い家並みが続く。午前8時半頃Colombres、caminoまで427.2kの石標。30分後に開いたばかりの郵便局があり、私達は不要なものを日本に送り返す事にする。
私達が出発時まだ部屋にいたナーニ親子はもう追い着く、息子さんはバスで先へ進み母を待つようだナーニは元気よく先へ進む。私の足は再び痛みを増し始める。Aからは大分遅れたようだがマイペースを貫く。
兎に角足の痛みと共存しながら山の中を進む15時頃にAとBarで合流。
ポーランド夫妻それにデンマークのアンとリサもいた。少し遅いランチ。
16時頃に本日最後の山に到着、眼下にLlanesの町が見える。パトカーが停まっていた。
後2キロの地点Aも私もくたびれ果てていた。若いおまわりさんと巡礼者である事を伝えたり日本から来た事等雑談を交わしながらアルベルゲの所在地等尋ねていた。
Aが盛んに「私は70才なの、でも凄く疲れてしまったわ、どうしよう」彼女の訴えに若いおまわりさん、パトカーに荷物を積みついでに私達も積んでくれました(笑)
ものすごい下り坂,私の膝の状態では可成り厳しい状況でしたがAのお陰で無事アルベルゲに到着。駅舎をリメイクしたアルベルゲでした。宿代はチョット高く10?無料のwifiもスムーズでした。
部屋は2段ベッドが2つでしたが私達二人だけの部屋になり昨夜に引き続き静かな夜でした。
21日目(5月8日) 35,904歩24.6 k : Llanes~Piñeres de Pria
海岸線を歩く、膝の痛みがひどくやっと歩く。11時半頃Barで休憩。汽車かバスが無いかとBarのオーナーに聞くと調べてくれた。しかし、3時間待ちという事で頑張って歩く事にする。幸いBarでの休憩で体も膝も楽になり何とか歩けそう。
NUEVAまで歩くと薬局を発見!膝のサポートを購入。4€安い!店の奥をお借りして早速着装。
歩くのがずっと楽になる。ずっと先に行ったと思っていたAと合流。
予定より手前のPiñeres de Priaで私営のアルベルゲを見つける。ここで宿泊決定。
庭先へ入って行くと見慣れた顔が・・・ポーランド夫妻、アン,リサ、ドイツのおっちゃん。
ここ数日はいつも同じ宿だった。おかっぱ頭のドイツのおっちゃん“ファミリア!”と感激の一言。私達は温かく迎え入れてくれたその言葉に疲れも吹っ飛んだ!ポーランドの奥さんの手料理も赤ワインも美味しかった。
皆のいる部屋は残りベッドがひとつ、別棟のロフトに寝る事になる。可愛い双子のママがオーナーさん、気だてが良くてしかも美人だった。食材、洗濯付で10€、今日の10€は安い(^v^)
雨が降り始めて,乾燥までして頂いて感謝。
雨の中をクラウディアとニーナ、デビッドの3人もやって来た。クラウディアは昨夜駅のアルベルゲで知り合った、ニーナとデビッドはGüemesで同室だった。彼らとは時々一緒になっていた、今回の巡礼では忘れられない若者達であった。
22日目(5月9日) 30,156歩24.6k : Pi?eres de Pria~La Isla
8時、素敵なアルベルゲ頼もしい青年達ともお別れして出発です。今日は快調です。
1時間程歩くと線路を超えます。踏切も無い線路、巡礼中は何度かありました。
その日は一時間の間に2度も線路越え。10k地点のRibadesellaに11時到着。
ここは大きな観光地、露店が並ぶ。カフェでお茶をして、散策。
露店でパンとチョリソーを購入してベンチでランチ。
Aの足首に違和感が有り、ここからはバスで行きたいという事で、海へと注がれる川の側のinfoでバスの情報を聞くと、直ぐには無いとの事。バス停のついた地図を貰い、地図に沿って新興住宅地を歩く、標高110m SanEstebanに2時近く到着。ここには、体育館の様なAlbergueとバス停有り。
バスに乗り込むと、クラウディア、ニーナ、デビッドの3人と遭遇。寝過ごしてバスにしたとか、彼らには時間が無く我々には体力が無かった(^o^) La Iskaで下車。彼らは地図で大体の場所が分かるようで彼らについて行って助かった。
アルベルゲには既に顔なじみがちらほら、そして続々と顔なじみが到着。
その夜は一件しか無いレストランで盛り上がり、食後浜辺を散歩したりで10時まで大騒ぎだった。若者はその後も楽しんだみたいだが,シニアは就寝zzzz….
23日目(5月10日) 25,994歩17.4k : La Isla~sebraya
Aの股関節の状態が良く無いようだ、早めにバスに乗る予定で8時に出発。
1時間後町中COLUNGAに入る、ここには美味しいパン屋さんがある筈と朝食のパンを探すが見つからず、仕方なくそのまま通過。頃合いを見て手持ちの食料で朝食の代わり。
昼近くなり上り坂を目の前に休憩する事に、Aはもう極限に来ていた。昼食代わりの食事後私の知る限りのマッサージ等やってみる。彼女の辛さがどれ位のものだったのか?A辛抱強い.
1時間近い休憩の後牧歌的な風景、住宅街と歩くがバス停もfevaの駅も無く二人は黙々と歩く。
我々の横を車が通り過ぎ10m先で止まり、中からニーナとクラウディアがきまり悪そうに下車。
おばさん達に気を使ったのだろう、その地点sebrayaまで徒歩30分の地点だった。その車に乗せてもらってバス停まで?迷っているうちに車は去ってしまった、あ?あ!
しかし,地図を見ると必ずしもその先のバス停が我々の目的地に行くバスが走っているとは限らなかった。彼女達はAの手助けを申し出たが彼女らはもっと大きな荷物を背負っている。
何とかsebrayaまで行くから、ベッドの確保をお願いして先へ進んでもらった。
Aは良く頑張りました,戦中生まれの底力を見せてもらいました。
アルベルゲから徒歩10分の地点までニーナに来てもらいAの荷物を持ってもらって無事宿に到着。受付はまだ始まっていなかった。
到着は14時頃,好天に恵まれていてホスピタリティを待つ間に若者に寝袋を干す事を提案。死にそうだった私達すっかり元気を取り戻し、日本ではお天気の時はこうやってお布団を干すのよと寝袋干しを指図、年期入った主婦ですからねフフ。
夕飯をシェフニーナが料理してくれて皆でカンパーイ。ひとつだけ小麦アレルギーのクラウディアの為の別メニュー、心配りが嬉しい名シェフニーナでした。
24日目(5月11日) 46,393歩31.8k : sebraya~Villaviciosa~El Curbiello~Gijon(ヒホン)
昨夜クラウディアとニーナが、明日Villaviciosaまで荷物を運んであげると申し出てくれた。彼女らの優しい気持ちに勇気を貰った気がした。なんて優しいお嬢さん達。
朝もやの中8時に出発、腰の痛いAも昨夜の彼女達の気持ちに答えるように6k先のVillaviciosaまで良く頑張りました。そこからは確実にGijonまでバスがある。しかし、巡礼道は容赦しないようだ。30分程歩くとぬかるみの洗礼だった。
ドイツの若者達はもう追いつき先へ進む、9時半ロードから横道へ。
10時Villaviciosaに到着後Barを見つけ朝食をとる。Aは11時のバスでGijonへ向かった。
Gijonまではガイドブックによって高低の差が違ってくる。Eroskiのサイトでは緩やかに見えるが通常のガイドブックには可成り急な山を2つ超える事になる。ここをバスでパスをする人も多くいる。私はLa costaとPrimitivoの分かれ道をどうしても歩きたかった。
Peónまでの歩きは順調だった。急な下り坂を終えた時、目の前の水たまりで水遊びをしている犬に出会った。人なつっこいその犬を、ヤコブ様のお使いの様な気がしてついて行ったのが間違い。ここで私は道を失ってしまった。1時間程さまよった時、デンマークのBjarneと出会う。
しばらく一緒に歩く事になる。彼は私と同年で誕生日も7日違いでした。彼と一緒に歩くと速度が違うので迷惑をかけてしまうし私も体力的に疲れて来ました。バルが見つかりGijon行きのバス停を聞くと、丁度居合わせた青年がGijonまで送ってくれる事になりました。
わんちゃんともお別れです。私が飼い主なのと聞かれながら歩いていました。
Gijonの町なかで下ろしてもらいました。それからが大変Gijonは大きな町です。メールでAが教えてくれたホテルが見つかりません。Gihonには18時に到着したのですが、ホテルに入ったのは20時を過ぎていました。何はともあれ合流できましたが、その時やはり見知らぬ土地のホテルでの待ち合わせは今後止めようと思った次第です。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。