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ぶらり・ぶら~り

第102回 主婦の長期休暇第2弾 65才記念・スペイン巡礼の旅(6) (2013/01/22)

Part2「北の道・・・La Costa」5

25日目(5月12日) 33,374歩29.1k:Gijon~La Aviles

昨夜は久しぶりのホテルだった。やはりホテルは快適、バスタブも快適だった。
Aはもう一日体を休めるのでGijon(ヒホン)に滞在。私一人先に進む事にする。

ヒホンを遅めの10時に出発。Aに見送られながら出発。長いヒホンの町はずれまで40分掛かった。町から出る頃に又楽しい線路越え。この近辺に小さな駅があるみたいだ。ヒホンの駅とつながっているのだろう。

大きな町を通り過ぎると、工場や大きなパイプラインの様なものが頭上に見られた。12時を過ぎ、左は雑木林、右が住宅地の坂を登りながら通る途中、庭の塀に奇麗なホタテの標識とタイルの表札。

少し前にピクニックエリアがあったが、大きな犬が数匹ウロウロしていたのでパス。素敵な塀の前の林でランチタイム、こんなに奇麗にしているお宅の前でゴミを出してはと、全て持参しているプラスチックの袋に入れゴミは持ち帰り。

さあ出発と腰を上げ振り返ると、その家の主婦から“水はある?”と優しい声。彼女はきっと私の一部始終を見ていたのではないかと察しられる。食べたトマトのヘタ等薮に放り込まずゴミ袋に入れるとか、人の目はなくとも常々己の行動には気をつける事、当然の事だが大事と学びました。

食後は順調に進む、山を超え下りに入り、昔の旅人の助けになった水飲み場や生活に欠かせない共同洗い場等目にしながら進む。

今日はアップダウンが少ない。ひと山終った所に905年に建てられたという教会あり。昨日世話になったデンマークのビャンヌ(Bjarne)と再会、彼は歴史を好むようだ。

足の早い彼にお別れを告げ先に歩き出すが、直ぐに黄色の矢印を見失う。通りがかりの車でTamonまで乗せてもらい何とかCaminoを歩き出す。アルベルゲも近い筈の道を歩いていると、ビャンヌと出会う。助かった!もうここからは彼について行き無事到着。写真を撮る余裕も無かった。

アルベルゲはフラットのベッド。馴染みの顔に会えた。明日は日曜日なので買い物をした方が良いとドイツのアミルが教えてくれた。彼はLa Islaで知り合った日本語を少し勉強した青年。私の膝が悪い話をすると、彼も膝が悪いらしく痛み止めクリーム「ボルタレン」を教えてくれた。これが私にはとても効き、翌日早速購入。買い物に出る、この街は美しい。

26日目(5月13日) 33,374歩27k :La Aviles~Soto de Luiña

アミルが一緒に歩くという、私は膝が悪くて遅いので一緒には歩けないと告げる。しかし、僕も膝が痛いのでゆっくり歩くという。とりあえず一緒に歩く事にする。
11時早めの昼食、住宅街に手頃なベンチ有り。彼のリュックも食料で一杯だった。

彼のお陰で快調に進むが、昼食後、膝にクリームを塗るからと先に進んでもらう。この辺が限界のようだ”ブエンカミーノ .See you”再び呑気な一人歩き再開。急な下り坂を下りきった18k地点がEl Castillo。名前通り、川を見渡せるところに城があり、一見松島のようだった。

Soto De Barco少し前に到着するとアミルとショーン、ダビデ(フランス、スペインの2人連れ)がバルで小休止中。手を振って迎えてくれた。ユース迄ロードだと2キロ、カミーノの道は4キロ。だが私の膝は悲鳴を上げていた。彼らとはお別れをする事になった。本当に気の良い青年達“Buen camino!

それと私はチョットFEVAにも乗ってみたかった。ここEl Parador駅から乗車、Soyo De Luoinaに向かう。山のてっぺんの駅に着くとアルベルゲまではいろは坂のようなくだり坂。坂を下り終わった所でナーニに出会う。Aがいるよと大喜び!アルベルゲに入るとAがビックリ!(◎_◎;)ビャンヌ、ドイツの二人組他皆、私とAの再会を喜んでくれた。

元学校の体育館らしいアルベルゲ、私は全体が見渡せる位置にある2段ベッド上段を選ぶ。
真夜中、前後左右下方から忍び寄るように鼾の大合唱に襲われ眠れず、寝袋共々別の部屋へ移動する事になった。鼾で眠れない!初めての経験だった。

27日目(5月14日) 40,153歩23.3k:Soto de Luiña~Cadavedo

翌朝ドイツのおばちゃん曰く、5人は鼾をかいていたとか???どちらにしても、もの凄かった。7時20分頃出発、歩き出して直ぐにロードとcaminoの道に分かれる。Aはロードを主張したが私は何故かcaminoの道に執着してしまった。

いかにもcaminoの道で気分良く歩く。9時半頃までは何でも無かったのに、その15分後にはすっかり霧の中で何も見えない状態になる。ここは馬の背らしいが何も見えない残念だなあ。

霧は霧で又楽しさがある位に考えいる私、心配も恐怖も感じていなかった。黄色い道しるべに従えば良い。私らしさを貫いて歩きを楽しむ。

しかし、気がつくと標識が見えなくなっていた。私は山の中へ引きずり込まれる様な感じで森の中へ入って行きそうになる。何故か解らないが頭の中に「引き返す」という文字が現れたのだ。ふと我に返り来た道を引き返す、上り坂が始まった四つ角まで戻る。

兎に角、間違っていても良いから人のいる所へ歩こうと思った。矢印は無いが町の名前の標識があった、地図に無い名前だけど構わないと思った。舗装された下り坂を進む、前から来る車を止め今の自分が何処にいるのかを尋ね、この先の町の名前を聞いた。それは思いもかけない本日の目的地まで6.4k地点のBallotaだった。Caminoの道を歩いていた。

暫く歩くと矢印があり、導かれるように道路にでる。直ぐにホテルがあり階下はバル、12時だった。昨夜一緒だったペリグリーノが先客だった。食事後、台所からケーキが焼き上がってきた、スイート好きの私は早速注文。Wifiも有り、45分間の休憩後出発。

今日の宿はベッド数10の所、私のベッドはあるだろうか?迷路から抜け出た安心感かすっかり疲れてしまった私にはアスファルトの10kがとても長く感じられた。でも到着するとベッドは後3台残っていた。

Aはどうしたのだろう?携帯で連絡を取る、今場所取りをしなくては彼女のベッドが無くなる。やっと連絡が取れ彼女がやって来た。近くにいたのだが見つけられなかったようだ。兎に角無事私達は合流。

28日目(5月15日) 31,350歩28.2k : Soto de Cadavedo~Piñera

8時出発、AはFEVAで先へ進む。後で聞いた話では,汽車を待っていると、車で通りかかった地元の方が汽車は来ない事を教えてくれ送ってくれたそうだ。

私はひとりのんびりと歩く。途中、アルベルゲで同宿のドイツ人女性2人、オランダの女性(彼女は巡礼の始まりリオで同宿だった)とは前後になりながら歩いていた。11時半頃山の中腹にHotelCanero有ブランチになる。その後マイペースを守り歩く、海の眺めが最高だった。

Luarcaは大きな港町、町に下りる前にアルベルゲの標識有り。しかし、立ち寄らずに進んだ、町中にある様な気がしたのだ。警察署でアルベルゲの場所を聞くとやはりあの場所のみ。
Piñeraまで12k。よし!その前にカフェに入り腹ごしらえ、するとバスの情報!ああ~、あの意気込みはどこ??ところでバス停は何処?親切なカフェの女性が案内してくれました。

バスはひと山をあっという間に超えPi?era に到着!12k山を超えればきっと4時間はかかったに違いない。道路沿いのアルベルゲだった。

Aがベッドを確保してくれていたアルベルゲに到着、しかし中央にシングルの2段ベッドの上段は恐ろしくゆらゆらと不安定だったので移動。空きがあって助かった。2段ベッドが2台横に並ぶとどんなペリグリーノがやってくるのかは不安だがシングルより安定性がある。

5年前、夜中にふとめが覚めると隣の空いていたベッドに,何処かの国のおっちゃんが鼾をかいていてギョとした経験があるがここはアルベルゲ、男も女もありません。

こちらも高齢者の仲間入りのおばあさんですから驚く事も無いのでしょうが、出来れば女性が来てくれた方がありがたいな~

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。