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ぶらり・ぶら~り

第103回 主婦の長期休暇第2弾 65才記念・スペイン巡礼の旅(7) (2013/02/22)

Part2「北の道・・・La Costa」6

29日目(5月16日) 44,727歩31k : Piñera~Tapia

今日は久しぶりにAと一緒に歩く。8時出発、Aは股間節から腰にかけての痛みが大分良くなり、歩けるところ迄歩くとの事。巡礼路は歩き心地が良かった、何事も無くスムースに進む。

ドイツの二人組と前後して歩くようになる。彼女達とはビルバオで知り合いそれから何度も同じアルベルゲで出会う。

昼近いが、バルは見つからず。4人は座り易い所を見つけ手持ちのもので昼食。食後歩き出すと村?の至る所に個性的な十字架を目にする。彼女達の歩みは早く、昼食後には私達の先を行ってしまった。

Porciaからロードと海沿いの道に別れる。多くのペリグリーノからTapiaは美しい村だと聞かされていた。私達は迷う事無くTapiaを選んだ。しかし、Tapiaまでの道のりはアスファルトの厳しい道のりだった。

15時半頃Tapiaへの標識に心躍るがここからが根比べのような歩きだった。一時間後Tapiaまで1000mの大きな看板。何をもって1000mだったのか今も解らない?道を尋ねると聞く度に「直ぐだよ」「4k」「2k」「5k」どちらにしても歩くしか無かった。
17時半アルベルゲに到着、1kの看板から1時間かかった事になった。

Luinaで知り合ったフランス人夫婦とドイツの2人組が先客だった。
ベッドを確保し荷物をほどきお決まりの作業をしてシャワーを浴びる。次は洗濯、外に出るとあの洗濯場があった。歴史としての説明でなく実際に洗濯場として使うと、なんだかスペインで生活をしているという思いがして嬉しい。単純な事で喜びを感じる事ができるわたし。

ここ数日料理は勿論温かい物ものも飲めない、何も無いアルベルゲだったが電子レンジがある。温かい物を口にする事が出来た。アルベルゲの裏手にある紺碧の海が素晴らしかった!

レストランは9時からという・・遅い時間にレストランまで出かけたくない。リュックの中にある即席スープ,パンとチーズでDinnerとする。

本日は少々お疲れです、就寝zzzz

30日目(5月17日) 44,727歩31k : Tapia~Ribadeo~vilela~(車)~Ribadeo

本日、Aは大きな街迄バスで行く事にした。私は無理をしない程度に歩きます。
7時に出発、作日より温かい(^-^)迷路のような街から出るのに一苦労。”嘘でしょう?”と言いたくなるような道を進む。海水浴場を右に見ながらTapiaにお別れをして、矢印を頼りに進む。

ハイキングコースの標識はあるが、ホタテ、矢印は?地元の青年にサンティアゴへの道を確認すると、ここからは二通りあると教えてくれた。勿論巡礼のコースを選ぶ。

 

その先も矢印は少なかった。アストリアに入ってからハイキングコースの標識が主で黄色の矢印は少ない。ペリグリーノ泣かせである。

迷いながらも11時ごろ親切な地元の方の助けで長い橋に出る。橋を渡りRibadeoに到着。この日ここはお祭りで、レストラン以外はお休みです。とにかく昼食を取り7k先のVilelaへ行くことのみを考えていた。

先ずは腹ごしらえ。お祭り気分で一人歩きのペリグリーノに、カウンターの奇麗なお姉さんは親切でした。

バルの入り口に地元のおばちゃん達が食べていたチョリソー入りのスペイン風肉饅?チョリソーと聞いただけで、辛いのが苦手な私は手を横に振る。しかし、おばちゃん「良いから食べてご覧よ」と無理矢理味見!

「イケル!」早速注文。食べている最中に気がつきカメラのシャッターを押す。グラスワイン(赤)と饅頭で100円。すると新しい料理がケースに入る。モツの様な煮物?思わず目が輝いてしまったらしい、出て来た小さな器の煮物をごちそうしてくれました。これが又美味でした。

食後機嫌良く出発、なだらかな坂道を7キロ歩きvilelaに到着、ここにアルベレゲがあると聞いていから頑張りました。

ところが今はシーズンオフで閉鎖。バスもタクシーも無い。標識にはSantiago 迄のカウントダウンが出ているものの既に15時近い。

当方にくれて歩いていると、車がやってくる・・・一か八か大きく手を振る。
農作業帰りの方でした,今の事情をお話ししてGondon迄行きたい旨を話すが、遠くて無理、Ribadeo迄ならOKと、送ってくださいました。
゚.+:。(´∀`)゚.+:。ありがとう!彼もヤコブ様のお使いだったのかも?

お祭りのRibadeoのアルベルゲも閉まっていた、ドアの張り紙にはホテルの住所が明記されている。それからホテル探しで町を彷徨う。運良く書いてあったホテルが見つかり泊まる事が出来た15€。

ホテルの目の前にタベルナ、今日は栄養をつけようと入る。定食ハーフを注文7€だった。

再度Vilela迄歩く気持ちにならない、バスターミナルで時間を確認、明日の朝一番のバスでLourenzaに進む事にして就寝。

31日目(5月18日) 33,148歩23.9k : Ribadeo~(バス)~Lourenza~(バス)~Abadin~Vilalba

結局RibadeoからAbadin迄はバスで移動でした。
7:20バスターミナルを出発、40分程走りFoz.E.Rで降ろされ次のバスに乗り換え。とても不安、運転手さんにバスの時間を確認すると8時頃、多分(;゜-゜)待つ以外仕方がない。(^-^)vイエイ! 来ました運転手さんが言った通りでした。ホッとしてバスは走り出す。

Lourenzaバス停前に素晴らしいカテドラル,ここで少し観光をしよう。まだ眠っている様な町だが少し散策。Lourenzaから高低400mの登りを歩く気持ちがすっかり萎えていた私だったそれでもまだ迷いがあった、そんな時バス停に杖を忘れた事に気がつく。杖を取りに行くと丁度バスが到着,吸い込まれるように乗車Abadin迄!


Abadinに9時半頃到着今日の距離は20キロ少し、これならアルベルゲのあるVilalba迄歩ける。


Lugo地方はホタテ印が逆、しかし今迄より頻繁にあり歩き易い。道もいかにも巡礼路といった趣で歩いていて気持ちがよかった。Santiago まで141.784kを目指し歩く。何かの事情で工事中の道にも回り道の標識、古い石橋、何もかもが嬉しくて楽しく歩く。


アルベルゲ迄後1kの標識有,足が痛くて農家の軒先で靴を脱いで休んでいると優しそうなおばあさんが水をくださいました、気持ちがしみる程嬉しい。

Vilalbaのアルベルゲはユースのように奇麗しかも男女別室でした。ここからゴール迄一律5€しかも不織布の枕カバーとシーツが配布される。

この日Aは私がバスでパスしたあの上り坂をしっかり歩いていたのです。う~んスゴイ!
その夜ロビーでペリグリーノ同士の雑談で「あの美しい山の景色を歩かないでバスで来たのかい!」と笑われてしまいました(- -。)シュン

32日目(5月19日) 37,077歩27.5k : Vilalba~Baamonde

7時半、霧の中を出発、突然後ろから声!昨夜同宿の愉快なスペイン4人組が「道が違う」と呼んでくれた。
直ぐに道が解らなくなる。結局私が進んでいる方向が正しかったのだが、私は危険なサークルを歩いていたが、彼らの行く道は少し遠回りをする安全な方向だったのだ。大いに反省しなくてはならない。

30分程歩くと霧が晴れVilalbaの町に入る4人組とここでお別れ、彼らも速い。町の店先に名物 Queso Tetilla(俗称おっぱいチーズ)がある、Santiago が近くなった事を実感。

今日も気持ちの良いコース、ただ昨日より何も食べる物を持っていない。早朝で店も開いていない。砂糖と水があるので何とかなると思っていたが、11時にバルを見つける。店に入ると食品が置いてある。パン、りんご、チーズ、チョリソ等、食べるより先に注文。これで途中食べる物は大丈夫(^-^) 標識が何処にでもあり順調に進む。

体調も快調になり始めBaamondeより先に行きたかったが、リュックがピンチ!肩のベルトが糸三本で繋がっている。15年前に買った物だが一ヶ月この重さに耐えきれなくなったらしい。手ぬぐいで補強し何処か大きな町で買う事にしよう。

Aからメールが入りBaamondeのアルベルゲにいると連絡有、久しぶりにAと再会。スペイン4人組他、昨夜のメンバーとも再会。

道中時々雨に出会ったが、アルベルゲではヒーターが稼働していて洗濯物の花盛りだった。お陰で寝る迄に皆乾いて助かった。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。