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ぶらり・ぶら~り

第118回 シニアプライスが嬉しいポルトガルの旅 (2014/05/27)

4月9日深夜~10日 羽田空港~リスボン~オビドス

巡礼銀の道の前に、いつもの旅仲間とポルトガルを旅することになった。
羽田国際空港を深夜に、発ちフランクフルトで乗り換えリスボンへ。

トラジットのフランクフルトでは7時間以上の待ち時間があった。
以前はチョット街に観光ヘ出かけたが、2001年のテロ以来、再入国にかかる時間が読めない。
空港内で過ごすことになり、土産は買わないぶらりは空港内の探検。

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ついスイートに目がいく。機内でブロイラー状態だったので食欲がなく見て楽しむだけ。
フランクフルトでは、乗り換えゲートが二転三転。理由は不明だがビジネスクラスの席になっていてラッキーだった。

少し遅れたがリスボンに無事到着。
リスボンには滞在せずバスでオビドスへ直行する予定。
オビドス行きのバスターミナルへタクシーを使うのでタクシー乗場へ。
タクシー手配の係がバンを手配してくれた。

運転手からオビドスへ120ユーロで直接行く提案が出た。
交渉が始まる、結局チップ込みで115ユーロに決まり出発。
飛行機の到着が遅れたが予定より早く18:30頃到着。

オビドスは城壁の町、サマータイムでまだ明るい。
城壁をぐるっとウオーキングする。
その後近くのレストランに入ると、ポルトガル在住の日本人に出会う。
料理の注文のアドバイスを受けて大成功!

4月11日 オビドス~ナザレ

翌日12時05分リゾート地ナザレにバスで移動。
それ迄自由に小さな町なか、オビドスを散策。
バス代は、65歳以上は半額、嬉しいシニアプライスです。
ナザレではアパートを一泊借りました。

近くにある同経営のホテルまで、チェックインをする為に行きます。そこで支払いと鍵を預かります。翌日の予定地アルコバサとバターリヤへのマイクロバスを依頼。
翌日は土曜日なのでバスの本数は極端に少ない。6人での旅はこんな時便利。

アパートは、3寝室だったがツインとふた部屋がセミダブル。
ダブルベッドに慣れない私達、結局リビングにエキストラベッドがあったので、巡礼組が リビングに寝ることになった。

居場所が決まり、ナザレの町に繰り出す。
8世紀、この地にゴート王ロドリゴがロマノという僧と共にやって来た。
その時彼が携えていたマリア像がイスラエルのナザレのものだった事に由来する。
(地球の歩き方より)

ナザレには、独特な習慣と服装で知られる。
今でも町を行き交う女性が膝位までのスカートをはいていたのが、印象的。
又、全身黒の衣服は未亡人らしい。
夏は、ポルトガル国内はもとより、ヨーロッパ中から訪れるバカンス客で砂浜はうめつく されるとか。

4月12日,13日 ナザレ滞在

10時、約束通りバンでアルコバサヘ向かう。
ナザレの東約14Km、アルコ川とバサ川の!交わる小さな町。
悲恋物語の主人公ペドロ一世とイネスの棺がある。
初代ポルトガル国王アフオンソエンリケスが、レコンキスタに協力したシトー修道会に感
謝して修道院を建設したことに始まる。(地球の歩き方より)

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世界遺産の修道院を見学後、アルコバサで昼食。
次の世界遺産バターリヤヘ向かう。
バターリヤは「戦い」という意味。1385年8月14日、王位を狙い攻め入って来たカスティー リャ軍を、ジョアン一世率いるポルトガル軍が打ち破った。
スペインに対してポルトガル が独立を守る、歴史に残る戦いだった。(地球の歩き方より)

ふたつの世界遺産である修道院を見学、両方と共に入場料はシニアプライスで半額でした 。
パンフレットは有料、それぞれ1ユーロ。
日本語のパンフレットはありがたかった。

再びナザレに戻る。昨日行ったレストランが気に入り、皆の意見が一致して夕食。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。