ぶらり・ぶら~り
第123回 主婦の長期休暇第3弾 スペイン巡礼・・・銀の道PLATA(1) (2014/10/27)
2014年4月20日(日)巡礼3日前 ポルトガル~ファーロ
今回の巡礼はスタート3名で始まります。
高校の級友からスタートの数日をご一緒にと紹介された、2歳年下で40年以上のベテラン山おばさんことKちゃん。
数年前ニュージランドへ一緒に旅をした一才年下のSちゃん。
知力、体力共に私よりはるかに優れた2人です。
巡礼の要領を得る数日のお付き合いの予定ですが一緒に歩けるだろうか???

日程をたっぷりとってあるので国際的なリゾート地ファーロで、これからの長旅前のために力を温存する事にした。夕食は本格的だがリ
ーズナブルなピザだった。
2014年4月21日(月)巡礼2日前 ファーロ~セヴィージャ
8時20分発のバスを8時4番線で待つ。良くある事だがバスは1時間近く遅れてファロを出発。
セヴィージャは大都市。セヴィージャに到着後先ずは宿、地図を頼りにアルベルゲへ向かいます。細い路地を歩き“Albergue Triana”に辿り着くと満室。フランスの道、北の道と歩き初日に宿が無いのは初めて、しかもまだ4月だというのに。
受付の女性がホステルを探してくれましたが何と20ユーロ・・ええっ・・・私の頭は5~15ユーロが相場。情報を見るともう一つ公共のアルベルゲ(ユース)があるはずなので行ってみる事にした。
マリア・ルイサ公園を横断して歩く事40分Albergue Juvwenilに到着。入口で黄色の矢印に再会、心躍る思いだった。
朝食付で24ユーロ、ホステルより高かった。セヴィージャは観光地で銀の道の出発地点だが、巡礼者ばかりではなくバックパーカーの若者も多い。大体20~25ユーロが安宿の相場だとここで初めて納得する。
何はともあれベッドはあった。町外れで少々高い宿なので満員ではなく4人部屋に3人、ゆっくり過ごす事ができそうだ。
Kちゃんはポルトガルの旅の間に引いた風邪をそのまま持ち越してしまったらしく発熱。先は長いので明日からの出発を一日送らせる事にする。病人がいて広い部屋はありがたかった。
2014年4月22日(火) 巡礼前日 Sevilla 滞在
私とSは明日の巡礼出発地点の確認も兼ねて諦めていた大聖堂の見学に出かけた。平日というのに大聖堂の回りには観光客の行列だった。45分並びやっと大聖堂の中へ入れた。大きな大聖堂、柱も大きかった。
世界遺産にも登録されている大聖堂の鐘楼ヒラルだの塔へも登る。馬が駆け上れるようゆるい螺旋状のスロープを歩いて登ります。そこを上り詰めると展望台です。大聖堂を見学したらやはりここの鐘楼は是非登らないとね。
大聖堂へやって来た訳がもう一つあります。大聖堂の前にカミーノの印があるからです、大聖堂を一回りしてしまいました。
あったあったと大はしゃぎヽ( ゚∀゚)ノ・・・お腹がすきました。目の前のレストランでパエージャを頂きました。
腹ごしらえをした後は再び目印を探しながらある程度の道順を確認。
途中に市場があり隣には観光案内所、なんと日本語の達者な案内所の男性職員でした。これで明日のスタートの準備はできました。
明日からいよいよ「銀の道」1,000kを歩きます。
「銀の道」はマイナーなコースで矢印、アルベルゲ等々が少なく厳しいコースと言われている。充分な日程は組んであるが4つ目のカミーノはさてどんな道なんだろう?
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。