ぶらり・ぶら~り
第124回 主婦の長期休暇第3弾スペイン巡礼・・・銀の道PLATA(2) (2014/11/26)
銀の道には、いろんな情報がありました。
(1) 本来南岸のCadizからフランスの道と交差するアストルガを通過し北岸のGijon迄となっている。
(2) 一般的にはSevillaからアストルガ迄を歩く人が多い。
(3) アストルガへは行かずGranja de Moreruelaから左折してサナブレスの道を経由してSantiagoへと歩く。私達は今回このコースを歩いた。
2014年4月24日(木)巡礼1日目
Sevilla ~ Guillena 22.7km 標高13~21m
先ずは旅の始まりをカテドラルでご挨拶、クリスチャンでは無いが巡礼を歩き始める最低限の礼儀だろうと思っている。いよいよスタートです。
何回巡礼をやっても歩き始めの数日は辛い、又何度経験しても学習をしないのか?荷物が重すぎる。小さな体に10k以上の荷物を背負っている私を見て誰もがため息をつく。私は彼らに告げる、全て煩悩を捨てきれない私の姿なのだと。
13時半10k地点のSantiponceに到着,半分近く歩いたとホットする。
スタートが遅かったから・・・後、約12km、夕方迄に到着しなくては。
14時を過ぎるとかなり蒸し暑くなって来た。そして果てしなく続く赤い道。
あの地平線を超えれば何かあると最初は思う、しかしそこへ行くと又同じような道が現れる。最初は期待をしたが、2度3度と続くと「だまされませんよ?」と自分に言い聞かせる。
長い道が終った時ありました!でも水の中を歩かなくても良かった。先輩達が通過したらしく、横手に道が出来ていた。
そして既にいた巡礼者、殆どがシニアばかり。それは納得出来る。何しろこの時期に何日も休めるのは私達のようなシニアに違いない。アルベルゲの料金10ユーロ。Sevilla より安いが北の道より高い。8年前から歩いていた巡礼路とは違う事が多いようだ。全てが振り出しに戻ったよう。初心者としての巡礼が始まる。
2014年4月25日(木)巡礼2日目
Guillena ~Castilblanco de los Arroyos17.5km標高21~335.0m
風邪が治りきっていないKは遅れ気味だった。Sは元気で既に目的地に到着。「アルベルゲのベッドが一つのみ」のメールをSから受ける。一人でもチェックインをして休むように私は返信した。それからKと私の今夜の宿を思案する。
しかしSはアルベルゲに入らず、立ち寄ったバルの主人からCASAを紹介してもらっていた。おかげで3人の宿を今夜も確保。
一方Kの事が気になる私は、彼女が追いつける位の速度で歩いていた。するとスイス人他の男性3人組から「Kに水をあげた。この状態では歩けないだろうからヒッチハイクを勧めてきた」との伝言を受け取る。Kの性格でヒッチハイクができるのか??即ヒッチハイクを勧め今の状態を認識させるメールを送信。
幸い、ヒッチハイクがうまくいかない彼女に、牛使いのおじさんがご親切に声をかけてくださった(きっとヤコブ様のお使いに違いない)
しかし、夜中の彼女はずっと咳き込んでいた。
2014年4月26日(金)巡礼3日目
Castilblanco de los Arroyos~Almaden de la Plata 29.3km 標高335~470m
咳が続くKはバスにてAlmaden迄行くことになった。一方、Sと私は早朝6時まだ暗いうちに出発。アップダウンのある今日のコース、地図の高低表では昨日に比べると135m程高くなる。だが、最後の胸突き八丁は凄かった。
途中のオレンジ畑や思った以上にある矢印に、気持ちが和む。
15時半頃にアルベルゲに到着、そして夕方18時頃、Kがバスで到着。
食材を購入して自炊。メニューはスープ、サラダ、スペインオムレツに粉ふきいも。
2014年4月27日(土)巡礼4日目
Almaden de la Plata~El Real de la Jara 16.6km 標高470~460m
このアルベルゲのホスピタリティの実家は、次のJaraのアルベルゲらしい?
なので、そこ迄無料でKと私達の荷物も一緒に送ってくれるという。
次のコースは、アップダウンはあるものの左程厳しくなさそうなので、張り屋のKは歩きたいようだった。が、Kの体調がはかばかしくないこともあり、ホスピタリティの申し出を受ける事にした。
この日の道中は穏やかで、Kも歩かせたかったと行く先々で思ったものでした。ここで、イベリコ豚の育て方を、ここ数日ご一緒していたオランダの女性2人に教えられました。イベリコ豚は小さく大事に育てられているそうで、高価で美味しい訳が解りました。
2014年4月28日(日)巡礼5日目
El Real de la Jara~Monesterio 17.9Km 標高460~750m
銀の道おきまりの水たまりも大した事はなかった。
Sの歩きは速い、しかし体調の悪いKも速い。何時も2人は私の前を歩き、みるみる姿が見えなくなる。何事もなく、途中、日本ではないなあと感じさせるお城を見ながら歩く。
Monesterioはイベリコ豚で有名な町らしい。町に入るとハムの看板ばかりだった、看板よりアルベルゲが気になる。ホステルもたくさんある。Sからはアルベルゲに到着のメールを受け取っていた。
到着するとユースかホテルのようにきれいなアルベルゲだった。
部屋のドアを空けると二部屋に夫々二段ベッドがある。
混んでいなかったので私達だけで使えた。ありがたい。
その時、Kの両足には大きなマメが、しかも半端でない大きさだった。
5本指の腹全体がマメになっていた。受付の女性に薬局の場所を聞くと「何故?」と聞かれ状況を話す。即、彼女から返事「病院へ行きなさい」彼女が車で歩けないKを病院へ連れて行ってくれました。
ドクターも英語が片言、こちらも同じ片言でポルトガル語は全く出来ない。何とか身振り手振りでマメの治療と薬の処方箋(足と咳)を出してもらう。彼女はアレルギー体質でいろいろ問題があったが、とりあえず5日間のドクターストップが出た。
2014年4月29日(月)巡礼6日目
Monesterio滞在
この日はKの治療の為、私とSは一日出発を延ばす事にした。
大して役には立てないが、猫よりましという事で私が病院へ付き添いで行く。
後の4日間は彼女一人で頑張ってもらい、5日後バスで追いついてもらう事になった。
スペインでは、巡礼者の病院での治療・受診は無料です。
それも日本人の私達には何となく居心地が悪く、無料を手放しでは喜べなかった。
それに彼女は最高の旅行保険に入ってここに来ていた。
7日目、Sと私は再会を約束して先へ進んだ。
この後の4日間は、Sとの弥次喜多道中でした。
次回をお楽しみに。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。