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ぶらり・ぶら~り

第127回 主婦の長期休暇第3弾 スペイン巡礼・・・銀の道PLATA(5) (2015/02/27)

2014年5月10日(土)巡礼17日目

Galisteo ~ Oliva de Plasencia y N-630 26.7k 標高280~425

今日は長丁場です。6時昨日用意していた朝食を食べ出発。昨日の所迄来るとパン屋さんの仕事が始まっています、パンの香りが・・・チョットのぞいてみました。コウノトリの巣と夜明けのシルエットがロマンチックです。

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11k先のCarcabosoに巡礼の先輩Hが是非寄ってと言われたエレナおばさんのアルベルゲに10時前に到着。SとKは偶然にそこで休憩中だった。Hの話になり出会いを喜び合う。泊まる事も考えたが先へ進む事になる。

Kは途中迄バスを使うつもりだったが生憎土曜日でバスが無い。そこに居合わせたイタリア2人組タクシーの相乗りの提案を受けKだけが相乗りをする事になる。

04image003l私達はてっきり宿迄送り届けてくれると思っていたが後6kの分かれ目で降ろされ彼女は死ぬ思いで6kを歩いた。騙されたのか?私の英語力のお粗末さだったのか?それでも私達より早くには到着してベッドを確保してくれていた。

11時前Sと私はエレナおばさんに送られ巡礼道を歩く事になった。
分かれ目迄は何処かの農場内を歩く,結構過酷な道だった。
農場を抜けた所が分かれ目、その日は好天気過ぎて持っていた水が無くなってしまった。道路に出ると目の前に農家らしき家を訪ねる。

「Porfavor Agua お水をください」無愛想な家主は黙って私のポットを満たしてくれた。大事な水だったが私は一気に全てを飲み干してしまった。そしてもう一杯と声をかける勇気がなかった。

後で解った事だが、Sが私より前にこの家をノックして水を所望してタクシーを呼んで欲しい旨を告げ断られていたらしい。多分それで又来たかとおもったのでしょう。彼には同じ顔に見えたかもしれない?

後6kなんとかなるだろうと・・・それは大きな間違いだった。
本当にあれは6kだったのだろうか?エレナおばさんと別れて6時間歩き、ようやくOlivaに到着した。私は先ず宿の場所を聞くより先に公園の水道に駆け寄り生き返った。飲めるのか?など選択の余地はなかったが大丈夫だった。

Olivaの看板はあるけど本当だろうか?

Olivaの看板はあるけど本当だろうか?

何も考えずに飛びついた水道

何も考えずに飛びついた水道

夕食はここで唯一のBar&Resturantで巡礼者20名の晩餐だった。
心温まる夕食に、今日の地獄のようなあの6kが嘘のようだった。
やっとたどり着いたOlivaのアルベルゲ

やっとたどり着いたOlivaのアルベルゲ

ドイツ系が多かった晩餐

ドイツ系が多かった晩餐

アルベルゲは全て屋根裏部屋のような天井が低くて暗かった。
しかし、事前の調べが足りず程よいところに宿を取ることができなかった。
有名な遺跡Caparraの近辺でホステルも満室も多く、これから行かれる方は前後の距離等々をよくリサーチされると良いかも?

ポジティブな私はこんな経験も滅多にできないのでこれはラッキーな事だと受け取って旅を続けた。

2014年5月11日(月)巡礼18日目

Oliva de Plasencia y N-630~ Aldeanueva del Camino 23.7k 標高425~535

09image008l7時半少し前に出発、またあの距離を戻るのかと思っていたが、前日ホスピタリティーから同じ6kの距離でCaparraまでいける地図をもらった。

このアルベルゲがコースから外れていると思っていたがここも銀の道の一つだと納得。2時間後に3人揃って到着。

Caparraとは74ADに建てられたローマの街の遺跡でカセレスの州の北にある。
歩き始めた頃から今までにない道しるべの石の模様が不思議と思いながら歩いてきたがここへきて解った。

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なんとか歩きの早い二人について来たが、ここからはいつものマイペース。
途中道に迷いながら二人よりかなり遅く17時本日の目的地Aldeanuevaに到着。

顔なじみになった巡礼者が「友達はもうアルベルゲだよ」と親切にアルベルゲを教えてくれました。

清潔な公共のアルベルゲでベッドカバー付きで6ユーロでした。
台所がないので食事は外です。

2014年5月12日(火)巡礼19日目

Aldeanueva del Camino ~ Calzada de Bejar 22.3k 標高535 ~ 790

13image012l食欲が無く、咳が止まらないKは再びバスで先へ進む。Sと私は8時に出発、今日はだいたい630号線に沿った道路や道を歩く。最初の10kは約200m弱の高低差を登る。登りが終わる頃Banos de Montemayoローマ時代の温泉がある。

どうも私達は行程の段取りが悪く、到着したのはまだ10時前泊まるには早すぎるのでInfo.だけでも寄って行こうかと開くのを待ってみるがどうも今日はおやすみらしい。
今にして思えば考えれば時間がたくさんあったのだから止まっても良かったかなあ?
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630号線を歩いた幹線のそばを歩いたり

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温泉街

 

ここからは5kは急坂を登り下り、そしてあとはそこそこの登りだがアルベルゲ直前の坂はきつかった、時々振り返りながら「嗚呼なんて素敵な景色だろう、ヤコブ様がくださったご褒美」と繰り返しながらの坂だった。
Sは途中から先へ行き、おかげで私のベッドは確保されていた。

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2014年5月13日(水)巡礼20日目

Calzada de Bejar~ Fuenterroble de Salvatierra 21.5k 標高 790 ~950

20image019l本日はここから12.5kValdelacasaまでは平らな道。天気も上々で広くて青い空の下を7時半に歩き出す。

一時間半ほど歩くと久々に水たまり、ご丁寧に大きな石が置いてある楽勝。しかし、天気は良いのだが真冬の向かい風、強盗のような姿サングラスにバンダナをマスク代わりして,体ごと飛ばされそうになりながら進む。

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道中はいかにも巡礼道らしいオブジェがいっぱいだった。今までにない雰囲気で楽しい♪♪♪風の中を進む割には12.5k地点Valdelacasaを2時間で通過。
11時半私としては順調だなと思った矢先、後2.8k先の看板やれやれ。
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気を取り直しランチタイムで休憩。絞ったオレンジジュースの果肉もスイーツにしてくれて心がほんわかして幸せを感じる。みんなに追い抜かれもちろんSも早々と姿が見えない。マイペース&マイペース♪食後頑張って1時間歩き後残りは5キロ。
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風は止んだが気温は低いようで寒かった。銀の道は何時がベストシーズンなのかわからないなあ?4月から6月にかけて歩いても夏あり冬あり。
前方に目をやると山々にはうっすらと雪景色、寒いはずだわ!

KからZamoraに2,3日滞在するというメールが入る。
十分体を休めて早く元気になることを祈る。

14時街が見えてきた、通りに入ると顔馴染みの巡礼者が優しく声をかけてくれる「gracias」その夜はミサに参加。罰当たり信者は寒かった事だけが記憶に残る。
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アルベルゲはドナティーボ(寄付)だったが、多少の差別を感じた。信者?国籍?何を基準だったかよくわからなかった。寝る事のできるベッドと朝食をご馳走していただき贅沢は言えません。

ここは信者さんたちの集会の為の家で、ついでに巡礼者を泊めてあげようといった感じでした。

2014年5月14日(木)巡礼21日目

Fuenterroble de Salvatierra~San Pedro de Rozados 28k 標高950~980

34image031l今日はアップダウンを繰り返しながら半ばで200m程度の峠越えがあった。やはり1000m近い標高なので寒い!でも昨日のような風はなく歩き易かった。

スタート直後道を間違える、昨夜仲良くなったおじちゃん1Kの距離を追いかけて知らせてくださった。私たちの体力ではとてもこんなことはできなかっただろう。本当に感謝、感謝、感謝だった。

そして、昼頃には再度道を見失うもスペインの巡礼仲間に助けられる。なんて良い人ばかりなのだ(涙)

延々と続く道にはバルもなく手持ちの食べ物で凌ぎ先へ進む。途中から咳が出始め早めに薬を服用。17時前に到着、この日のアルベルゲはレストランがアルベルゲ受付だった。

台所はなく受付けをしたレストランで夕食をいただく。本日私たちを助けてくれたヤコブ様のお使いのおじさん達と救出劇の話で盛り上がる。就寝前にも薬を服用、疲れと寒さでこれ以上ひどくならないよう心がけよう。
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ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。