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ぶらり・ぶら~り

第128回 主婦の長期休暇第3弾 スペイン巡礼・・・銀の道PLATA(6) (2015/03/23)

2014年5月15日(金)巡礼22日目

San Pedro de Rozados~Salamanca 23.4k 標高980~800

01image047l朝食は、昨夜楽しく夕食をしたBarで食べる。約束は午前7時だが鍵がしまっていて開かない。巡礼者としては早く食べて出発したいところだが「これもスペインさ」

この日は寒かった!後428k地点の標識の前で記念撮影“だれ?”かろうじてザックで私とわかった。午前9時前この頃はまだ元気だった。

朝食を待っていた通り

朝食を待っていた通り

立て看板の後ろはオブジェではない

立て看板の後ろはオブジェではない

Morilleから4時間半下りの巡礼道を歩く。
13:30ああ彼方に街が確かに見える、Saramancaに違いない。

13:30ああ彼方に街が確かに見える、Saramancaに違いない。

13:24ここまでは我慢がまんだったが、あの矢印の向こうは?少し期待するも思い直す

13:24ここまでは我慢がまんだったが、あの矢印の向こうは?少し期待するも思い直す

10:40遠くに街が見えるが安心は禁物まだまだと言い聞かせる。

10:40遠くに街が見えるが安心は禁物まだまだと言い聞かせる。

すでに昼はとっくに過ぎている、夕方までに到着できるのだろうか?

街なかまでここからが長かった。珍しくずっとSと一緒だった。
15:19 矢印を見つけた時はもう到着の気分、40分後アルベルゲの前にたどり着き顔なじみと再会を喜び合った。宿の受付は17時だがすでに16名を超えていた。だがその中に自転車組がいる。原則的には歩きの巡礼者が優先、それもホスピタリティーによることもある。私達二人は微妙な立場だった。
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待つべきかそれとも早くに宿を見つけた方がいいか?一緒に待っていた皆が「大丈夫だよ待っていた方が良い」と引きとめてくれた。

結果的には私たち二人で満室になった。ここのホスピタリティーは期間つきのドイツ人ボランティアの方だった。
私たちとピエールと仲間たちは5人だけがアルベルゲで自炊して夕食をした、この夕食がきっかけで私たち5名はすっかりお友達となった。

サラマンカ(Salamanca)はスペインの都市。カスティーリャ・イ・レオン州。スペインを代表する大きな大学街、大学や大聖堂のあるサラマンカ旧市街全体が、ユネスコの世界遺産に登録されている

2014年5月16日(土)巡礼23日目

Salamanca~El Cubo de la Tierra del Vino~Zamora 66.6k 標高800~640 全バス移動


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アルベルゲでは巡礼者達がスマホなどで先の情報を見て次の宿の心配をする。
我々もサイトを教えてもらいタブレットでなんとか情報を得ていた。日本語でないので時間がかかった。

Salamancaから13.1k地点にあるCalzada、35k地点El Cuboがある。どちらも収容人数が8~10人だった。私の歩きではベッドの確保は自信がなかった。El cuboを経由してZamoraまでのバスがあることが判明。バスでZomoraまで移動決定。銀の道、噂より宿もあり歩く人も多かったが、やはり銀の道は難関コースだと実感。
Salamancaの宿からバスステーションまで40分歩く、そしてSamoraでも宿まで1時間歩く。ヤコブ様はバスを使ってものんびりさせてはくれないらしい。
運良く同じバスに乗り合わせたフランス人ご夫婦、地図も持たない私達は彼らにぴったりついていき無事12時到着。

買い物の後昼食を取りながら受付を待つ

買い物の後昼食を取りながら受付を待つ

受付は14時から、2時間あるので昼と今夜の為の食材を求めメルカドへ行くことにする。この日は土曜日、日曜日はほとんどの店が閉まってしまうので明日の昼食も含めた買い物だった。

16時には早めの夕食を、キッチンが充実していて助かる。パスタ、スープ、サラダと充実した食事だった。

そして部屋はフランス人ご夫婦と同室の4人部屋、今夜は静かな夜が過ごせそうと思ったのだが、一晩中咳が止まらない私がおやかましい存在で、翌日平謝りの私だった。

買い物の後昼食を取りながら受付を待つ

バスに乗った私たちは早く到着して一番に受付だった。途中El cuboから31kを歩いたピエール達も無事ベッドをゲット、あ~よかった(^_^)

2014年5月17日(日)巡礼24日目

Zamora~Montamarta 18.5k 標高640~695

7時から朝食の予定だったがホスピタリティーが少し早めに支度をしてくれていて助かった。道は平坦で歩き易かった。

昼頃にはMontamartaに到着したが、予定のアルベルゲは昨年暮れに閉鎖されたとか。ここにはホステルや民宿があるらしく、すでに到着していた巡礼者が教えてくれた。

13image023lメルカドで紹介してくれるらしい。私たちもここで紹介してもらった。一軒家の一部屋を貸してくれてキッチンもあり、簡単な物は作れた。このメルカドで食材を購入、日曜日だというのにメルカドは開いていた。

私たちが夕食を終えた頃にもう一人オランダの青年ロバートが隣の部屋にやってきた。彼とはゴール地点の一つ前まで前後して進んだ。
夜咳が止まらず真夜中Sを起こして咳止めを分けてもらう。

2014年5月18日(月)巡礼25日目

Montararta~Granja de Moreruela 22.7k 標高695~705(地図は17日と同じ)

この日も平坦な道だが、寒い!”風光明媚だなぁ~”なんて思っていて道を間違えてしまったようだ。すぐに修正するがどこでどう間違ったか今もよくわからない。巡礼路も時代の流れに変わってきたのかも?

途中ピエール達とスクランブルだがあっという間に先へ、そしてSも先へ。
風邪薬を服用したせいか歩いて眠くなる。午前9時頃は城跡を眺めSと一緒だったが撮った写真を見るとひたすら道のみ。とにかく630号線に沿って歩けばよかった。

風光明媚なスタート

風光明媚なスタート

ローマ軍が残した石碑

ローマ軍が残した石碑

ただひたすら歩く

ただひたすら歩く

本日の到着地点でKが待っているはずだった。早く到着したSと数日滞在していたKは残りのベッドが残り少なくなってきて、アルベルゲの受付であるバルのオーナーに友達が後から来るからと、頼みこんでいた。しかし、オーナーはきた順だよとの一点張りだったそうだ。

メールでその旨を知らせてくれたが、私の体は思うようにいかなかった。
街を目の前にして眠気がきてしまい道端で寝てしまっていた。

朝あんなに寒かったのに午後からは真夏の暑さ、ようやくGranjaに到着した時ダメとは思っていたが一応「ベッドはあるかしら?」と聞くと「5ユーロだよ」との返事だった。KとSが私のベッドを頼んだとき頑なにダメとの返事だったのは、簡単にはOKを他の人の手間で言えなかったのではないかと察する。

17image031l3人の日本のおばさんの存在はこの巡礼路では結構周知のこととなり、皆さんには本当に親切にしていただいた。みんなで再会を喜び合い、アルベルゲに行くとピエール組がすでに休んでいた。

私が到着したことを本当にみんなが喜んでくれて感謝感謝でした。Kは相変わらず咳は止まっていなかったが元気そうに見えた。

2014年5月19日(月)巡礼26日目

Granja de Moreruela~Tabara 26k(10kタクシー)標高705~745

18image033l巡礼も26日目3人共お疲れさんです。本日のコースも平坦な道です。26kの距離のうち10k地点までタクシーでカットして歩くのを16kにしてみようと相談。出発時間は9時、料金は12ユーロで成立。1人4ユーロ、一人では多分歩くのだろうが割り勘だと乗る気になる。

早めに行き朝食を取りながらメールのチェックをしながら待つ。
少し遅れてタクシーが来る、10k地点には10分で到着。車を降りると冷たい風が吹き、さ~む~い~!しかし、少し歩けばだんだんと体は温かくなる。
久々に3人で歩く、11時半頃まではなんとか3人で歩いていたが、相変わらず昼近くなる頃には一人で歩いていた。

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ところが∑(´Д`)ハッ!!道を曲がると目の前にKが倒れていた。
一体何が起こったのだろう?恐るおそる声を掛けると、気がついたらしく背中の荷物が重くて起きられないKだった。おでこをうち歯がかけていた。
曲がりきれなくて倒れたらしい。足のマメから始まり……こんなこともあるのか……

どうにか歩けるようなので、少し休憩。宿までは間もなくの距離、ゆっくり歩いて進む。Sから、ベッドあと5台しかない、予約ができない、とのメールが入る。とはいえ早くは歩けないので仕方がない!運を天に任せて歩く。

そのうちピエールが追いついてきた。仲間の2人も後から来るらしい。他に来なければ今のところ私たちとピエールの仲間たちのベッドはあるという事。
そしてなんとか間に合い、ベッドも確保できた。タクシーを使わなかったらベッドはなかったのかも?ヤコブ様ありがとう。

本日の宿は2食と洗濯付でドナテイー(寄付)だった。メニューはスープ、スペインオムレツ、サラダそれに赤ワインでした。

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Kは医者に行くことはなかった。本当に良いのかな~?せっかく久々に3人での歩きだったが、またKは翌日バスで先へ進むことになる。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。