ぶらり・ぶら~り
第130回 主婦の長期休暇第3弾 スペイン巡礼・・・銀の道PLATA(8) (2015/05/28)
2014年5月26日(木)巡礼33日目
A Gudina~Porto Camba (タクシー20k)~Laza 14.4k 標高970~895~480
タクシーの予約をしてくれたレストランで朝食。
珍しくタクシーは時間通りにやってきた。車に乗り込み標高1000mをさらに登っていく。何も遮るものがない景色がすばらしかった。
時々顔なじみのペリグリーノを追い越していく。別に悪いことをしているわけではないが、なんとなく気が引ける。
皆寒さの中黙々と歩いている。
それにしてもなんと素晴らしい景色なのだろう!車内で私たちはため息ばかりだった。私たちの足では、午前中のこの景色を見ることは困難だったろう。
9時少し前20k地点Campovecerrosに到着、残り11kを歩く。
なるべくCaminoの道を走ろうとしてくれた運転手さんの配慮が嬉しかった。
ふた山越えるとあとはくだりのみだった。この日は終日3人一緒に歩く。
本日は自炊。
2014年5月27日(木)巡礼34日目
Laza~Vilar de Barrio 22.5k 標高480~660
本日は22.5kの距離を意識して7時出発。気持ちの良い道で道標の矢印がいっぱい。3人共足取りは軽く、9時~10時にかけの山越えはきつかったが問題はなかった。
次々とある目印のおかげで、迷うこともなく良い道だった。
10時45分、きつい坂を上りつめたところにある街Alvergueriaでリンコン・デル・ペレグリーノバーに立ち寄る。巡礼者のシンボルホタテがこれでもかと壁一面にぶら下がっていた。私たちは興奮気味だった。記念撮影をして大はしゃぎだった。
ここから3K歩先はものすごい下り。膝の悪い私は我慢の1時間だった。
アルベルゲに13時少し過ぎに到着。ここも公営、ガルシアは宿が充実していてしかも安い。
2014年5月28日(金)巡礼35日目
Vilar de Barrio~Xunqueira de Ambia~Ourense 32.4k(途中15kタクシー)標高660~560~180
本日14.1kにあるXunqueira de Ambiaまでの予定だったがSからその先温泉のあるOurenseまで行く提案を受けた。私は何も考えずに「良いかも」と思った。だんだん慣れて来るとわずか15kよりもっと先へ行きたくなる。
しかし30k以上はとても無理、乗り物を使って一気に行くことを覚えた私たちは何の疑いも持たなかった。私たちにはたっぷりの日数があったのになぜか先を急いだ。疲労した体が早く到着したかったのかも?
14.1k地点へは11時に到着、綺麗なアルベルゲだった。誰もいないところで、私たちは昼食を取った。歩き出したがタクシーを呼べるタイミングがない。途中小さな街では時間が早くタクシーを呼ぶことを迷っていた。
13時A Pousaを過ぎたところにレストラン。ここで休憩を取りタクシーをお願いすると1時間後とのこと。食後のデザート代わりにお茶をすることになった。
タクシーを使っても、Ourenseには歩いて入りたいので、15kだけ乗ることにした。
Ourenseは都会だった。今までも何度もあったが、大都会は巡礼者泣かせなのだ。Ourenseの入り口から出口近くまで歩いたような気がする。アルベルゲは古いお城を再生したようなところだった。80名が泊まれる大きなアルベルゲ。台所もあり本日は自炊。
2014年5月29日(土)巡礼36日目Ourense 滞在
せっかくの温泉地、もう1日滞在することにした。
しかし、アルベルゲは1泊しか泊まれない。
前日infoで紹介してもらい、オーレンセの出口に近い便利な場所。
久しぶりのベッドでした。
可愛い汽車で市内見物をして、日本式の温泉へ。
しかし、ここでも水着でないとダメということで残念だった。
2014年5月30日(日)巡礼37日目
Ourense ~Cea 22.1k 標高180~515
スタート以来ズット咳が続いているKは相当疲れている様子で食欲が無い。元来、山おばちゃんで温存している肉体と力で今までも歩いてきた。巡礼は己の荷物と体で精一杯、私には彼女の荷物の一部も助けてあげることはできnい。
バルを出るとそばには教会がある、罰当たり巡礼の我々だが、旅の始まりに礼をつくしてご挨拶をする。
硬くて決しておいしいとは言えないがCeaではこのパンを代々引き継いて作られているとのこと。
早速買いに行ったが店を聞くとみんなが知っていた、やっぱり有名。
到着が遅かったので洗濯物が乾かずベッドに靴下をご披露することになった。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。