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ぶらり・ぶら~り

第131回 主婦の長期休暇第3弾 スペイン巡礼・・・銀の道PLATA(9) (2015/07/02)

2014年5月31日(月)巡礼38日目
Cea~Castro Dozon 20.6k 標高515~750

Ceaでもらったマップには2つの道が書いてあった。
Oseira修道院にたち寄る道と525号線を通る近道がある。

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前日話に出た時、私は修道院に泊まりたいと意見を述べた。しかし、出発地点からわずか10k地点に気がつき、泊まることは修道院に到着後に決める旨を朝二人に告げた。Kは後少しということもあり体の調子を見ながら歩くことを話していた。私もその意見に大いに賛成だった。

Sは元気いっぱいなので先へ進む事は問題が無い。目的地まで三人三様に歩き宿泊する巡礼を味わってくれる事を喜んだ。10時半Sと私は修道院に到着。

image006l修道院は私にとっては魅力的ではなく、時間も早いので先へ進む事にした。Kはここへ泊まると決めたようだった。ぜひ体を休め、少しでも体の状態が良い方向へ向かうようにと心の中で念じながら別れた。

ここからアップダウンが厳しく汗をかきながらCastro Dozonに到着。レストランを改造したアルベルゲ。キッチン使用不可。

明日の方向を確認後Barへ、夕食の時間を聞くと8時とのこと。スペイン時間の食事、だが私たちには遅い食事は辛い。Barの裏手がメルカドになっていた。夕食の買い物をそこで済ませBarにもどりそこで飲みものだけを注文して持ち込みで少し早めの夕食とする。

2014年6月1日(火)巡礼39日目
Castro Dozon~Silleda 28.1k 標高750~490

image008l久々に本日は長距離、しかし途中少しのアップダウンがあるものくだりが多い。

昨日到着時アルベルゲに怪しげなおっちゃん、てっきりホスピタリティと思っていたらSilledaのホステルの予約を取りに来たおっちゃんだった。日曜日でもあるしここは賭けよう!予約をお願いする。はてどんなホステル?

初めはロードばかりですぐ膝に来た。しかし、すぐに緑のトンネルがあり山道に入ると喜びが湧いてくる。牧場や民家の横を歩いていると”Via Da Prata”の文字ますますテンションが上がる。28kの距離を良く歩けたと自分自身驚きだった。しかも目的地Silledaに15時に到着。

Silledaは少しさびれているが大きな町、さて前日予約したホステルを探さなくては散歩中の熟年ご夫婦にお尋ねすると案内をしてくださった。”なんて親切な?

モーテルGonzalezに入ると驚き、昨日の怪しげなおじさんがいるではないか。ホステルのオーナーだった。

階下はレストラン階段を上がるとホテルになっていた。ツインの部屋、こうやってたまには個室も良いものです。料金が一人7ユーロ、不安に思うのも仕方がない、だが見事に嬉しい裏切でした。それに怪しげなおじさんはとても優しくて親切でした(笑)

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昨日同宿だったオーストラリアの大家族もここに宿泊。
夕食はこのレストランでメニューを注文、スープがかなり塩っぱかったがあとはGoodでした。料理上手なSは塩加減を間違ったのではなかったか?これは言ってあげた方が良いのでは?と悩んでいた。

アルコールに弱いSは出されたワインを限度量以上に飲み大盛り上がり。オーストラリアのファミリーの脳裏に完全にインプットされてしまった。

2014年6月2日(水)巡礼40日目
Silleda ~Onteiro 23.8k 標高490~295

image016l本日も20k以上の距離です。地図から見ると平坦な道で最後にぐっと下って少し登り。Santiago までもう少しここは頑張りどころです。力のある巡礼者は一気にSantiago まで歩きます。

もちろん私たちにはそんな力はありません。マイペースで歩きます。道は昨日同様緑が多く気持ち良い道です。
でも時々カルテラもあり、最後の下り坂は左膝に負担が多く痛みが辛い道中だった。
最後の下り坂が終わるとPente Ulla名前通りの橋を渡り右手にレストラン有。

13時半そこに一時ずっと一緒に歩いてきたフランスのおっちゃんとオランダのロバートがいた。彼らはこれからSantiagoへ向けてゴールを目指す、本当のお別れ “Buen Camino ?”彼らとは多くの思い出があります。
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お別れの後私たちはここでたっぷりの昼食をとった、途中バルもなくここまで歩き通して空腹が頂点に達していた。ここでたっぷりの遅めの昼食は賢明だったアルベルゲの近辺には何もなかったのだ。

1時間近い休憩後、アルベルゲに到着16時だった。
先客にはオーストラリアのファミリーがすでに到着していた。綺麗なアルベルゲだった、可愛いシャコべちゃんが迎えてくれた。

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アルベルゲに落ち着いた頃、二人のスペイン人の巡礼者が到着。
彼らは私たちを見ると途中でKと会った事を伝えた。Kはもっと後からくると思っていた私たちは驚いた、ゆっくり歩くはずではなかったのか?
このペースだと彼女は私たちの翌日には到着する。

2014年6月3日(木)巡礼41日目
Onteiro~Santiago de Compostela 16.3k 標高295~255

image030l今日はSantiagoにミサに間に合うよう午前中の到着を目指し7時出発。クリスチャンではないが巡礼をして到着後はやはりミサには参加したい。この日諦め半分期待半分ミサでのボタフメイロを思いながらSantiagoへ向う。

私たちが到着した日から数日は、偉い司教がおいでになるというので教会の右手にあるパラドール近辺はものものしい警備が敷かれていた。おかげで今回ボタフメイロの恩恵を受けた。

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残念ながら大聖堂は修復中

ところが楽しみにしていたパラドールの巡礼者のための食事はおやすみだった。全部がうまくいくとは限らないものです(笑)

Kからメールがはいり翌日Santiagoに到着との事で私たちはここで2泊して彼女を迎える。Kも翌日ボタフメイロを見る事ができて良かった。彼女は一緒にSantiagoに入りたかったので急いだという事だった。

しかしかのKの体は無理の連続で体調が最後まで回復する事はなかった。彼女はかなり大柄な体なのだがSantiagoに到着した頃はずいぶんスマートになっていた。彼女は蓄積した体があったので耐えられたのだろう。翌日予定が20日くらい残っていたが帰国。

帰国後のKは直ぐに回復に向かい、今も山おばさんを続けている。恐るべし体力です、脱帽!

私とSはその後フィイステーラとムシアを巡り、マドリッド、トレド、アビラ、セゴビアを観光して帰国。その時の珍道中は後日ご報告できればと思っています。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。