ぶらり・ぶら~り
第152回 16年ぶりに中山道歩き再開Part7 (2017/03/28)
細久手宿〜御嵩宿〜伏見宿 17k
6時半朝食を済ませ、他の3名の方々は7時前には出発。
のんびりの私は7時半出発がやっとでした。
細久手から御嵩に至る道は、江戸時代の遺構が数多く残るとても面白い道でした。
相変わらず標識も親切で多く、緑多い山道も街中も中山道一色です。
なんて私には中山道関係しか目に入らなかったのかも?それにしても多い。
3時間ほど経った時「ラ・プロヴァンス」カフェの看板。
こんな山中でありがたい!おしゃれな看板に誘われて立ち寄ります。
ところが人でいっぱいです、聞くと2時間待ちとか(びっくり)
今は平日も週末も無い私、その日は日曜日余計にたくさんの来客 だったのでしょう。
仕方なく空になった水筒にお水をいただきました、どこでいただこうか?と戸惑っていました。待っていらっしゃる男性がご親切にお店に声をかけてくださり庭先の水道で補給できました。
プロヴァンスを出て少し進んだところで昨夜同宿だった青年と出会いました。
彼がカフェ一番客だったとか、40分前出発の差でしょうか?
美味しいケーキを諦め、石畳を歩き耳神社に立ち寄ったりして車道に出ます。
すぐに左右に田んぼ、12時を過ぎた頃タイミングよくコンビニあり。野菜たっぷりの昼食をいただきました。
1時間ほど標識や遺跡を堪能しながら御嵩町を通過、本日の宿は可児のビジネスホテル。
地図で行く御嵩町から約10k、多めに見ても3時間で到着すると歩き出します。
午後になると疲れもでて半分の伏見でもう限界になりました。
地図を見ると名鉄広見線が可児駅まで続いていました。
随分と体力が落ちた事を自覚して、そばにある明智駅から乗る事にしました。
明智駅?なんと恵那で楽しんだ明智鉄道と同じ名前の駅、ご縁をかんじます。
地図を見直すとこれからの中山道は名鉄広見線、高山本線、名鉄各務原線最後に東海道線、このようにいろんな鉄道と接点している事がわかりました。肩の痛みが出てきたので無理はやめてホテルに延泊を申しこみ、可児駅から2日間は荷物なしで中山道歩きをする事にして就寝。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。