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ぶらり・ぶら~り

第154回 古希記念のスペインの旅1 (2017/05/29)

今年70歳を迎える、4月10日から5月17日までスペインでセルフイベント!
10年前に知り合った獣医さん一家との記念の旅でした。
お互い言葉が十分とは程遠い間柄、でもなんとなく10年の年月が経った。
そんなわけで充分な打ち合わせもなく私はチケットを買う。

今年私が行く事だけが彼らに伝わっていた。なんともワガママな婆さまの到来に戸惑う事も無いのが、いかにもスペイン人らしい。細かい打ち合わせなど言葉の壁が厚くてできない。
“Linaいつ頃からcamino 歩ける? 私4月10日夜に日本出発”このメールから始まった。

“burai! 私、感謝祭でマラガへ友達と15日まで旅に出るの。もうチケットも買った??”
“わかった! 私3年前銀の道を歩いた時バスでパスした区域を改めて歩きたいから歩き終わったら連絡する。その前にいらない荷物置いて良い?””良いわよ!夫は在宅だから自分の家だとおもって!”多分お互いPCで翻訳しているのでこの辺は順調?ではなかった(笑)

彼女は私の為とわざわざ日本語に翻訳して送ってくれる。しかし、これが大間違いだった。
送られてくる日本語が全くわからない? たまらず”お願い英語かスペイン語で送って! 送られた日本語さっぱり解らない。英語かスペイン語なら辞書があるからなんとかなると思う”

そんなやり取りが2週間。このやり取りのおかげで翻訳は日本語を使わず英語?スペイン語がベストという事が判明。だが?英語もおぼつかない私です、日本語の表現を変える手段としてつかいます。

途中ご夫婦はピレネー山脈麓のルルドでボランティア活動をするという、ルルドと言えば多くの巡礼者がルルドから出発してフランスの道を歩く。後学の為にも是非行ってみたいと思い同行を希望。当地で彼らがボランティア活動の間、遊ぶつもりだった。蓋を開ければなんと私もボランティア活動の一員となっていた。

私たちは、1週間フランスの道を歩けるところまで歩き一旦Mansillaへ戻りルルドへ。
ボランティア活動後再びフランスの道を歩きサンテイアゴを目指す。これを知った時よく理解できなかったが、巡礼の道を歩き出したら何がなんでも歩き通すということは考えずその時の状況に応じて行動すれば良いのだ。

このようになったのも詳しい打ち合わせもせずにチケットを買いスペイン行きを私の都合だけで決めたのがそもそも原因。Linaはそんなことを全く気にしないで目の前に来た状況にあわせてを迎え入れてくれた。感謝するばかりだった。

11日の朝、無事マドリッド到着、前もって調べていた経路でLeonへ。
この日は感謝祭で電車の予約は満席、予定より遅い電車になりLeonへは午後5時に到着。
本来はレオンからサラマンカへ直行したかった。しかし旅先のこと何があるかわから無いのでサラマンカへの乗り継ぎ駅Valladolidに前もってホテルを予約していた。

問題が一つ!Villadolidのホテル到着が10時過ぎになりそうです。
電話で連絡をしていた方がと思ったが、スペイン語のできない私には自信がなかった。
通りがかりの方に事情を説明してかけていただいた。親切な方はどこにでもおられる(^_^)
これで一つ問題は解決です。

Leon駅には長男マルコスと獣医さんのお姉さん二人が迎えに来てくださった。
祭日でマルコスはマドリッドから帰宅していたらしい。

この日Leonではセマナサンタというお祭りの日だった。是非見てからというので多少心配ではあったが誘いに乗ることにした。とりあえず不要な荷物を置かせてもらってその足で出かけた。汽車は20時半発、3時間半あるのでなんとかなる???

宗教的なこの祭を彼らは毎年楽しみにしているようで、本当に楽しんでいる様子だった。
このまつり永遠に続くのではないか? と思われるほどエキサイトしていた。

祭はまだ始まったばかりのようだったが20時!せっかく楽しんでいる彼らに声をかけるのはためらわれるが、そうもいってられない時間になってきた。「大丈夫!駅は近いから」彼らは慌てない。

今から考えると私に特別予定が決まっていたわけではなかった。チケットと宿は無駄になるけどそのまま楽しんでも良かったかも?その時の私はまだ日本人そのものだったのかもしれない。

今回フランスの道を歩き、ボランティア活動後、再び歩くという変則的な予定を知った時”私は今回スペイン人になろう!”と思ったのだった。それがどういうことなのかうまく説明ができないがとにかく日本人的考えはやめようと思っていた。

これも神様のご加護? 駅へは30秒前に到着、幸い汽車の出発が遅れていた。
長い1日だったが5週間の旅の始まりです。

ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。