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ぶらり・ぶら~り

第173回 谷中七福神めぐり八弾目 (2018/12/27)

さて今回、正月の七福神めぐりは、谷中七福神です。
出発地と到着地は田端と上野、ぶらりは田端を出発地点にしました。

東覚寺(福禄寿) 北区田端2-7-3

田端駅北口から出発、左方面に歩き始めまっすぐ進みます。薬局前の信号を右折して進むと右手が東覚寺です。
ここの「石造金剛力士立像」の全身には赤紙が貼られているので、通称「赤紙仁王」とも呼ばれています。
病のある場所に赤紙を貼って祈願すれば病が回復するとか? 体のどの部分が痛くても辛いものです。お札で痛みが治まるなら、ぶらりも貼ってみましょう。
寛永18(1641)年、東覚寺住職賢盛の時代に、当時江戸市中に流行していた疫病を鎮めるために造立されたと伝えられます。

清雲寺(恵比寿) 荒川区西日暮里3-6-4

東覚寺から再び前の通りに出て谷田橋の交差点を左折後道なりに地図を参考に目的地まで約1Kmです。
青雲寺には滝沢馬琴の筆塚硯塚など江戸を代表する文人の碑が多く残っています。

修性院(布袋尊) 荒川区西日暮里3-7-12

1575年に日蓮上人によって開創され、元禄年間にこの地に移転。江戸時代後期から「花見寺」と称されています。修性院の塀にはやんわり感のある布袋様の絵が何枚も書かれています。ホノボノとした気持ちで塀に沿って先へ進みます。

天王寺(毘沙門天)  台東区谷中7-14-8

天王寺は谷中商店街から夕焼けだんだんを抜け谷中霊園へ入ってすぐ左手にある。
丈六仏 大仏様は江戸生まれ。今から300年前に天王寺の前身・感応寺の住職日遼の作。日遼は感応寺時代の最後の住職だったそうです。目黒不動、湯島天神とともに江戸の三富として、富くじが行われた寺社としても知られている。
谷中七福神ですが谷中の街を一気に通り過ぎ霊園に入っていきます。入り口から大仏様が見えます

在りし日の谷中五重の塔跡

天王寺を離れ長安寺へ向かう途中霊園の中ほどに「五重の塔跡」があります。幸田露伴の書いた小説「五重塔」のモデルです。

長安寺(寿老人) 台東区谷中5-2-22

五重の塔跡を出て少し進むとさくら通りを右折してそのまま突き当りが長安寺。立派な門をくぐるとひっそりとした民家の佇まい。大きな声を控えてお邪魔しました。長安寺には3件もの所蔵の文化財があります。

長安寺を出て護国院を目指して歩き始めると七福神を忘れてしまうほど左右に興味を惹かれる店が少し続きます。

大きな通りに出て護国寺へ向かう途中に「旧吉田屋酒店」の付設展示場があるようです。江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物をこちらに移築したようです。

吉田屋だけではなく、名札もないいかにも古い家がありました。ドイツから来たという女性が盛んに日本家屋の写真を撮りながら古い東京を満喫しているようでした。

 

護国院(大黒天) 台東区上野公園10-18

旧吉田屋酒店からわずか200mで到着します。護国院は寛永寺の最初の子院です。何度も移転を繰り返し今の位置に落ち着ききました。本堂は釈迦堂とも呼ばれています。ここにある大黒天画像は、徳川三代将軍徳川家光から贈られたとか。

森鴎外居住之跡

最後の不忍池弁天堂への途中に森鴎居住之跡があります。水月ホテル鴎外荘に鴎外の旧居が保存されています。一晩くらい泊まってみたいですね。

不忍池弁天堂(弁財天) 台東区上野公園2-1

左手の上野動物園の塀に沿って下り坂です。まだかまだかと思いながらカーブが続きました。鴎外の居住之跡で一息ついた感じでした。不忍池が見えてくると急に観光地といった感じでした。国内外の観光客が大勢、屋台もあり活気のあるお祭り気分。

後は上野の森を歩いて駅へたどり着きました。この谷中七福神は東京七福神の中でも一番人気だそうです。
ぶらりさん自己紹介

世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。

忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。