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ぶらり・ぶら〜り by ぶらり

第29回 石岡・昭和ロマンふれあい歩き

茨城県のほぼ中央に位置する石岡。私達の住むつくばに近く、有史以前から人々の生産生活の場としてひらけていました。多くの古墳や文化財の宝庫です。今日はその石岡を歩いてみました。

常磐線石岡駅西口を出ると右手に観光案内所があります。マップや資料など係りの方(美女)が親切に教えてくださいました。
駅の左方向の階段を上り東口へ回ります。階段の上は広々とした広場になっています。

階段を下りてバスターミナルに出ます。左方向へ歩きましょう。52号線に出ます。右方向へ行くと程なく一里塚です。大きなエノキの木が天へそびえていましたが平成14年夏の台風で倒れてしまいました。旧水戸街道の府中(石岡)から長岡へ通ずる道路の両側に築かれたもので、ことに両側の塚は原形をとどめ、榎の大木は築造当時をしのばせ、江戸時代の交通政策を知る上に重要な史跡です。倒れたえのきの根株が痛々しいが側に二代目が育っています。思わず「がんばれ!」と応援したくなりました。県の天然記念物になっています。


両側に天にそびえる大きなエノキ

二代目のエノキ

昭和初期旧水戸街道の杉並木付近

今来た方向常磐線陸橋"泉橋"へ向かいます。陸橋前からふと足元を見ると「江戸街道石岡より○○里」とのタイルがあります。陸橋を渡るのが楽しくなります。

陸橋を渡り左折して石岡駅西口に戻ります。
観光協会目の前の通りを右折します。そのまま進み石岡信用金庫本店の十字路を左折します。
ここからは町歩きを楽しみましょう。歩き出すと素通りできない昭和ロマンが漂います。
好みに合わせて歩いては如何でしょうか。タイムスリップをしたような通りである。
又、縄文・弥生時代よりひらけ常陸國の中心であった石岡は奈良時代より中世、江戸時代へと移り町の中には旧町名がある。府中雑記などの資料と伝説を参考に町名の由来を記した石碑が17も建てられている。

喫茶店四季・平福寺・府中誉・清涼寺・まち蔵藍(丁子屋)・福島屋佐藤店・久松商店・十七屋履物店・栗山呉服店・すがや化粧品店・きそば東京庵・森戸文四朗商店など名前と現在の状況が一致しない建物もある。観てのお楽しみです。

平安時代から戦国時代にかけた豪族の墓、安政元年創業の造り酒屋、レトロな建物が立ち並ぶ通り、ここでは全部を語りきれない、是非町を見て確かめていただきたい。

私が時間を費やしたのはまち蔵藍でした。江戸時代末期に建てられた染物屋「丁子屋」(登録文化財)を活用した観光施設。特産品の販売や各種展示、喫茶スペースがありました。懐かしい駄菓子なども販売していて孫に紙風船のセットを購入して抹茶を頂きひとやすみしました。

この通りはゆっくりと童心に戻り楽しみたいところです。

現在生花店の森戸文四郎商店の先を左折して進むと昭和3年に建てられた平松理容店(登録文化財)を左手にあります。更に先を進むと石岡市民会館です。左手に常陸國総社宮・石岡の陣屋門・府中城の土塁跡があります。

常陸國総社宮では毎年9月に関東三大祭のひとつとも言われている「石岡のおまつり」が盛大に開催されます。今年は9月16〜18日です。

石岡の陣屋門は江戸時代に小石川の常陸府中藩邸が再建された際余材を搬入して立てられた陣屋門で、石岡小学校の敷地内にあります。かつては石岡小学校の校門として使われていました。

府中城の土塁跡は室町時代に築城された府中城の土塁跡です

石岡は歩いてみると面白い!歴史を訪ねて歩けるところです。町のいたるところに標識もあります。マップと標識を頼りに歩いて見ては如何でしょうか?

2006年9月14日

ぶらりさん自己紹介


世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4〜10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。