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ぶらり・ぶら〜り by ぶらり

第30回 サンチャゴ巡礼道900キロの旅
Part 3 ロンセヴァジェス 〜パンプロ−ナ

6月1日(木)ロンセヴァジェス〜ズビリ 41,603歩(しっかり33,946歩)21.8K

5時に目が覚める。まだほとんどの人々が寝ている。巡礼2日目の私は寝袋が上手く袋に入れられないので、支度に手間取る。地下の大きなテーブルでゆっくりたたもうと荷物を抱えて移動する。皆が起きだす前に広い場所でゆっくり荷物を整理することが出来た。昨日はピレネー越えで疲れているだろうからもう少し2人は寝かせておこう!それに2人は支度が手早いので大丈夫だろう!Hの話だと6時にあかりがつき♪ハレルヤ♪の賛美歌で起こされたそうだ。私も聞きたかったな(^-^)

大きなテーブルで朝食を多くの人がとり始める。みんな用意が良い。私たちは7時に出発する。アルベルゲを出ると直ぐ右手に遊歩道があり森林浴を楽しみながら歩く。3キロ地点がブルゲーテである。ここにはヘミングウェイが逗留したというホテルブルゲーテがある。昨日もう少し早く到着していれば、ホテルブルゲーテに私たちも宿泊したかったしそれがだめなら朝食だけでもと思っていた。生憎ホテルはまだ閉まっていてどちらも願いはかなわなかった。せめてホテルの写真でもとパチリ!


ホテルブルゲーテ

直ぐ側のBarでサンドイッチ、コーヒーとオレンジで朝食を摂る。Barは巡礼者で混雑する。すでに顔なじみの顔がチラホラ、お互い挨拶を交わしながらもまだぎこちない。

パンを背中に背負った若者たち

サンジャンでいろいろ教えてもらったマーガレットに出会う。若い彼女にはすでに数人の親衛隊が着いていて早々に出発していった。足の速い彼女達にはそれ以来会うことは無かった。

少し歩いたところで、パンを焼く良い匂いに誘われて本日の昼食を調達。昨日昼食を持たずに歩いた教訓である。私たちはサンドイッチを購入したが、居合わせた若者たちはフランスパンを一本買い込みリュックに背負う。私には、その姿がヨーロッパ的でかっこよく見えました。

牛がいっぱいの牧場を通り抜けるとIrotzというかわいい町に入ります。ここですれ違う人がみな同じパンを抱えて歩いています。通りすがりのおじちゃんに声をかけると、"一本あげようか?"と言われました。皆気のよい方々です。せっかくの朝食を頂いては申し訳ないし、既に昼食調達済みの私達は、お心だけを頂きました。


そのパン屋さんを見つけましたが、普通の家で看板も何もありません。町中の人がそのパンを愛していて、看板など無用なのでしょう

私たちは矢印に導かれながら町を離れ林の道を歩き始めました。細い上り坂に未だ慣れない背中の荷物がズシリと感じられる。時々目にする手作りの矢印-巡礼者が作ったのでしょうか?-に何故か気持ちが癒されます。

途中林の中で、調達したサンドイッチの昼食を摂っているとカナダ組がやってきました。スージは今夜ララソ−ニャ(Larrasona)まで行くつもりだとのこと。彼女たちは元気だ!


石で作られた矢印

"ブエン・カミーノBuen Camino"これは巡礼者に送られるエールのようなもので、巡礼者同士又巡礼者以外の方々からの励ましの言葉となる。Camino=道の意味。途中農作業中のおじちゃんはスペイン語で"Buen viaje"「良い旅を!」と励ましてくださった。カナダ組とエールを交換し合い彼女らは先を急いだ。

MezkiritzとErro 2つの峠を越えズビリ(Zubiri)に到着。ララソーニャはここから約5.6キロ先です。私たちは、ここで宿を取ることしました。

巡礼の道から右へそれた方向にアルベルゲがあります。最初の宿が見えてホットしたのものつかの間、既に満員でした。更に1キロ弱先のアルベルゲへ、ベッドは空いているようですがホスピターレは夕方にならないと来ないという。手続きは後回しにして、とにかく自分たちのベッドを確保です。

ここで私達は水のシャワーの洗礼を、3日目にして受けたのです。これ以後アルベルゲの受付を待っている時先達者に"Agua caliente ?"シャワーはお湯?"と何度かたずねたものでした。そして、終盤では泊まれればシャワーがお湯、水の状態など問題ではなくなりまし。男女同室から始まって私達はどこでも生活できる人になって行きます。巡礼宿は、プライバシーやベッドメイキングなどはありませんが、料金が安く大抵は洗濯場があって干す場所もあります。男女関係無く到着後殆どの巡礼者はシャワーを浴び洗濯をします。
巡礼宿によって違いはありますが、3ユーロで洗濯機やドライやが借りることが出来ます。一人で3ユーロ(約450円)は贅沢ですが、私達は3人でしたので一緒に洗濯をして楽をさせてもらいました。
因みにここには洗濯機はありませんでした。

夕食後、巡礼宿の庭先で、仲間のYがドイツの女性から指圧を受けました。重い荷物を背負った私達の背中や肩は悲鳴を上げていました。私も得意のストレッチなどご披露。女性ばかり就寝までのひとときを、和やかな井戸端会議で過ごします。最後に私より少し上のお姉さんが「こうやって違う国の者同士が心を通わせることが出来るのに何故戦争が続くのかしら」とポツリ!女同士の話は多岐にわたります。お互いの顔が見えなくなり就寝!

6月2日(金) ズビリ〜パンプロ−ナ 40,405歩(30,660)20.8K

6:30am出発。朝食はララソーニャで食べることにしました。ララソ−ニャまでは山道でした。カフェまでは巡礼道からはかなり外れます。カフェを探す途中でアルベルゲを見つけます。クレデンシャルでスタンプを押して先へ進むとペンション兼カフェがありました。なんとカナダ組が先に朝食を食べていました。ス−ジとは日本語で会話が出来るのでホットします。このペンションには、日本ひいきの親父さんがいるはずです。朝食を摂りその親父さんにランチを用意していただき先を急ぎます。

再び山道を歩きます。続いて砕石工場地帯と続き農家の軒先の水のみ場で休憩。途中、馬の親子に道を塞がれ一時立ち往生してしまいました。子馬連れの母馬の後ろを通過するのは危険です。
そこへ昨夜同宿のフランスの女性がパンを投げ、馬が其方に気を取られている隙に、私達も無事通過できました。

川辺でのランチの後は車道を歩くことも多かった。道路が作られ巡礼の道も寸断され(多分)道や公園が整備されたのだろう。延々と公園内を歩き、出口らしきところへ到着したのが既に5時ごろ。気がつくとここがパンプローナの入口であった。

町の中心の巡礼宿を予定していたが、新しく出来たらしいアルベルゲの標識を目にする。
この時間で小さな巡礼宿に部屋があるのだろうか?町のアルベルゲまでどれほどかかるか解らない。
どちらにしてもパンプローナは大きな町なので最悪の場合はホテルに泊まることも出来る。疲れきった体を思い、近くにある新しいアルベルゲに向うことにする。当りだった\(^o^)/

ここは巡礼の道を踏破したドイツ人有志が交代で奉仕してくださっているアルベルゲであった。幸運にも部屋もあった、しかも私達3人個室である。
それに台所、洗濯機なども完備されている。台所にはクッキーや飲み物も用意されていて自由に使えた。豚ちゃんの貯金箱が置いてあって洗濯機の使用も含めて私達はそれぞれ2ユーロを入れた。
私達の世話をしてくださるドイツ人ご夫婦は昨日からこちらに滞在とのことで、2週間の奉仕をしてくださるそうです。

快適な私達の部屋には、最初赤いシャツを着たドイツ人がいたらしい。彼は私達女性3人が着たので空けてくださいました。
小指を立てたしぐさ等々でおかまちゃんと命名しましたが、彼は祖国に奥様とお嬢さん2人がおられる元教師64歳でした。楽しい彼はきっとおかまちゃん生活を多分エンジョイしていたのでしょう(笑)私達は彼と何度もアルベルゲで出会い何かと親切にして頂きました。

毎晩私は爆睡ですが、この夜は特に仲間だけ3人の部屋で回りに気遣うことなく眠りにつきました。

2006年10月10日

ぶらりさん自己紹介


世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4〜10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。