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ぶらり・ぶら〜り by ぶらり

第31回 サンチャゴ巡礼道900キロの旅
Part4 パンプロナ〜ログローニョ

6月3日(土) パンプロナ〜ウテルガ 16.6キロ 37,921歩(しっかり23,402)

あまりにも快適なこのアルベルゲにいつまでも滞在するわけにはいかない。私達は先へ進まなくては・・・
お世話になった夫妻にお別れをして出発しました。まだ旅は始まったばかりです。パンプロナは大きな町です。まず城砦の中を通過して街中へ歩いていきます。
昨夜とまる予定だった修道院のアルベルゲへ向かいます。せめてクレデンシャルにスタンプを頂ければ、と門をたたきました。マリヤテレサのようなシスターが優しく迎え入れてくださいました。よくニュースでも紹介されるサン・フェルミン祭の牛追いがスタートする市役所の前を通過します。


↑城砦への入り口
→修道院のシスター
→市役所

早くこの町を出なくてはと思うのですが、素敵な公園や大学と私たちを誘惑する建物が次々と現れます。
大学のOfficeではスタンプがいただけるとあっては素通りするわけには行きません。やさしい職員の方が
「どうぞ中を見学なさってください、食堂でお茶でもどうぞ」f(^_^)“ムチョ・グラシアス”

やっと町を出たのはすでにお昼近くなっていました。ここからはどこまでも麦畑です。遠くには電力発電の風車が見えます。風になびく麦畑はまるでWindowsXPの待ち受け画面のようです。歩けども歩けども風車が近づいてくれません。
今日は土曜日明るい親子連れもハイキングです。いまどきのママも、日陰に入ると子供に上着を着せ水分補給に気を使います。なかなか良い美人ママたちでした。

まだか?まだか?のぼりの連続です。風車に向かって歩き続けました。
やっとペルドン峠に到着です。
ポスターで見るペルドン峠、何処にあるのだろう?
見落とさないようにしなくてはと思っていました。
巡礼の道をちゃんと歩けば見落とすことはありません。

のぼりが終わるとくだりです。私たちは天気に恵まれたことに感謝するばかりでした。石だらけの急なくだりはかなり厳しいものでした。

パンプロナでお昼まで過ごした私たちは予定のプエンテ・ラ・レイナまでたどり着かずウテルガに到着した時は既に4時半となっていた。レストランがアルベルゲも経営している。1泊10ユーロはちょっと高かったが、無理をしても仕方ないのでそこで泊まることにした。10ユーロの価値はあった。2段ベッドであったが部屋は男女別、シャワーも洗濯も熱いお湯が出た。ペルドン峠で先を行く若い女性が違う道へ行ったので心配していたが、途中で気がつき戻ってきて私たちに追いついた。ドイツから来た彼女−スザンナと途中まで何かと縁があった。スタイルが良くて美人だが、しゃべると「ガハハ」と豪快に笑うお嬢さんだった。

6月4日(日) ウテルガ 〜 アジェグイAyequi 30.8キロ 52,769歩(しっかり43,351)

ウルテガを早朝に出発。 6.9キロを下りPuente La Reina に到着する。フランスからのびる四つの巡礼路は、フランスの道とアラゴンの道を経て、ここプエンテ・ラ・レイナで一つになる。町の入り口には昔の巡礼者の姿のオブジェがシンボルのホタテを下げて立っている。

11世紀に架けられた王妃の橋がそのまま町の名前になっている。当時サンチャゴを目指して歩く巡礼者達の為に王妃が私財をかけて造ってくれた橋である。中世から巡礼を見守ってくれた橋は今も健在である。

ここからサンチャゴへは一本の道になる。

黄色い矢印に導かれながら私達の右手を自動車がスピードを出しながら通り過ぎる。そろそろ昼食時、ローマ時代の橋が残るシラウキの町に到着。お腹がペコペコなのにレストランが見当たらない持参のもので昼を済ませ山道へ再び歩き出す。途中さくらんぼがすずなりだ!神様からデザートのお恵みとばかり3人の乙女はさくらんぼ狩にしばし興じる。


シラウキの町手前

こんな道しるべも

ローマ時代の橋

本日宿泊予定のヴィジャトウエルタへ到着するが予定の宿がない?閉鎖されたのか情報が間違っていたのか?
仕方なく4.1キロ先のエステイジャへ向かう。大麦畑を見ながらやっと到着!アルベルゲの前には早く到着した顔なじみの巡礼仲間が笑顔で迎えてくれた。しかし、もう満杯とのこと(あ〜神様!)次の2キロ先のアルベルゲを教えてくれるが心身ともに疲れきった私の頭には理解が難しい!とにかく行くしかない!
相当疲れている。2キロの距離の感覚が麻痺している。数百m歩いただけなのにこの辺?と思ってしまう。

夕涼みをしているおばちゃん達に「アルベルゲは何処ですか?」親切なおばちゃん達は面々に“あっちだ!こっちだ!”と教えてくれるがやはり理解できない。そこへ巡礼者らしいイタリアの父娘が通りかかる。
“先のアルベルゲに宿泊しているから一緒に“と、その声はの神のお告げのように聞こえました。

彼らは夕食を食べにエステイジャへ来て今から宿へ戻るとのこと。私たちに合わせてかなりゆっくり歩いているのだろうがアジェグイまでの2キロは辛かった。到着したのは6時を過ぎていた。でも宿は大当たり、スポーツセンターをアルベルゲとして使っているようだった。中は明るくて清潔、ベッドもフラットで久しぶりわたしたち3人は顔を合わせながら就寝についた。

サマータイムのヨーロッパは10時過ぎまで明るく5時6時は特に日差しが厳しい!従って夕方洗濯をしても就寝の頃には乾くのでたくさんの荷物をもてない巡礼者にとってはありがたい。

6月5日(月)アジェグイAyequi 〜ロスアルコス 19.2キロ 32,829歩(しっかり28,948)


↑イタリア人父娘

アジェグイを出発してすぐに“ワインの泉”がある。下調べをしているときからここには是非立ち寄ってみたかった。ボーディガス・イラーチェ社が巡礼者に無料提供している赤ワインと水飲み場。蛇口をひねれば、右から水・左からワインが出てくる。ここで昨夜の父娘に出会う。改めて感謝の気持ちを述べる。母娘の旅人は良くある話であるが父と娘のコンビはなにやら嬉しくなります。

ロスアルコスまでは20キロ弱の行程。日陰もなく巡礼のコースでもとりわけ厳しい道として有名。途中アスケータでもボランテイアさんがたっぷり水を入れくれた。確かに炎天下延々と続く道だが余りに前評判がすごかったので覚悟ができていたせいか辛いとは感じられなかった。

ロスアルコスには1時半ごろに到着!初めて早い時間の到着である。
天気に恵まれてこの日も暑く水のシャワーも気にならない。ベッドを確保してシャワー、洗濯後、町を散策して昼食をとる。

スペインではシエスタ(お昼寝の時間)をとる習慣がある。商店も銀行もお休みになる。暑く、いつまでも明るいこの時期のシエスタはここでは生活の知恵なのだろう。食後夕飯と明日の為に買い物をしたかったのだが、すべてシエスタ中であった。宿に戻り本日の記録をとる。今回の巡礼で初めてのんびりとした時間であった。
本来なら早朝に出て2時ごろに到着する毎日のつもりだったのだが現実はうまくいきません。

この巡礼は通しで歩くと平均40日位の日数を要する。私達は二回に分けて歩く、又ツアーで気に入った区間をツアーで歩くグループもある。彼らは荷物を車で移動してもらいデイバックで歩く。ズビリで出会った理髪店を営むイタリア人の夫婦は、仕事があるので1週間と決め来年続きを歩くのだ、といっていた。巡礼に決まりはなく夫々が自分なりの巡礼をしている。そして何より陽気で明るい!巡礼中争う声を全く聞かなかった。
夕方に再び町に出て夕食と明日の食料を調達!


↑陽気なイタリアのツアー達

↑近くの教会の前でのんびり

↑頑張ってくれている靴

6月6日(火) ロスアルコス〜ログローニョ 27.9キロ 45,936歩(しっかり41,151)

昨日調達したパンとジュースの朝食で午前6時教会の鐘で出発。サンソル、トレスデスリオと順調に進む。
すでに顔なじみの巡礼仲間と“オラ”と声を掛け合いながら進む。ヴィアナまでは下り坂上り坂、太陽はぐんぐん高くなり暑くなる。やっと18.5キロ地点まで予定通り12時に到着。バルで昼食。


↑教会の鐘に送られて出発

↑午前中は影を見ながら歩く

↑スイス人オリビエ 美人で健脚

昼食後はスザンナ達と合流。もちろん彼女たちは早い、足の長さ・若さには追いつけない。
少しだけお話をして後はあっと今に先へ行ってしまった。
とにかく暑い日だった。それでも良く3時半に到着したものだ。本日のシャワーは水。洗濯機があるLuky!
夕食時イタリアのグループ、といってもそれぞれ別に行動しているが、同じ国同士すぐにまとまり食材を買ってパーテイをしてしまう。堅実だ!私達はバルへ行くことにする。ここログローニョはバルの町と聞いていたので、バルのはしごをするのを楽しみにしていた。

今夜のアルベルゲには清潔なキッチンや食堂それにコンセントがたくさんある。
カメラの充電が思いっきりできた。アルベルゲで出会う人は皆良い人で盗難の心配は全くないように思える。
それでも中にはそれを目的でもぐりこむやからがいるとのことで用心するようにと、先輩から注意を受けていた。日本の機器は優秀なので狙われやすいとか。幸い今回の旅の間は何事も起こらなかった。


↑もうすぐログローニョ

↑巡礼者が描いたらしい落書き

↑イタリア人達のパーテイ

※バルとは“BAR”と書くが、スペインへ行くとバルの存在はありがたい。バルの説明は下記のサイトを見つけたのでご紹介しよう。
http://allabout.co.jp/travel/travelspain/closeup/CU20050601D/

2006年11月13日

ぶらりさん自己紹介


世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4〜10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。