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ぶらり・ぶら〜り by ぶらり

第51回 サンチャゴ巡礼道900キロの旅 part15

6月17日オルベイロア(Olveiroa)-ムシア(Muxia)58284(52392)30km

早起きする予定が四人とも7時半までぐっすり。ヨウジが「ぶらりさん、僕は1秒で寝た人にあったのは初めてです。びっくりして40分もねむれませんでした」と言われてしまった。寝付きが良いのは自他ともに認める有名な話だが1秒は大げさでしょう(笑)

Aは足首のトラブルで用心して今日はムシアまでタクシーで行く事になった。シンキと二人で歩く事になる。出発からすごい雨、少し登った時には雷、昨日今日と今までの分、一気に雨風雷のオンパレード!これも経験経験!不思議と雷が恐くない、本当は危険なので雷のなっている間は避難したりするものである事を、最近知ったぶらりである。雷も数分で終了。

1時間程歩くとバルがある。朝食にカフェコンレッチェとボカデージョを注文。大きなボカデージョで食べきれない半分ラップしてもらう。おかみさん明るくて商売上手!盛んに15km先までバルは無いよ!外の看板にもそう書いてある。後で解った事は、フィニステーラ方面は確かに何も無いらしい。しかし、私達の目的地ムシアへの道にいくつものバルがあった。

陽気なおかみさんと温かいカフェコンレッチェで私達はすっかり元気になった。少し行くとムシア、フィニステーラへの分かれ道の道標がある。
もちろん右のムシアへ進む。

12:50バルを見つけて昼食。優しい若いマスターオレンジのなまジュースで体の疲れの回復を感じさせてくれる。思わず2杯おかわりをしてしまった。
朝の残りをここで食べて新しくボカデージョを作ってもらう事にする。
1:30十分な休憩を取り、再出発!雨も止み、リュックの後ろに昨日乾かなかった洗濯物をひらめかしながら歩く。

後半ムシアまでの8km地点頃から矢印が無い事が多く苦労する。
サンチャゴまでと違い他の巡礼者になかなか出会わない。
最も速度の遅い私達もう既に先を歩いているのだろう。台風でも吹いたのだろうか道無き道がある。
本当にこの道で良いのだろうか?と不安になる。

タクシーで既に到着している、Aと連絡が取れる。アルベルゲがきれいでベッドが沢山あるとの情報。なんだか心が明るくなる。雨具を来ていると蒸し暑い、そうかと思うとまた雨!天気が不安定だ。

山を下り始めると遠くに海だ!二人で手を取り合いもうムシアに到着した気分だった。世の中そううまくは行かないようだ。3kmくらい歩いてもなかなかムシアらしい所に辿り着かない?元の道に引き返す。電話で確認を取る。Aが「ベッドがなくなりそうよ早く!早く!」
そんな事行っても黄色いホタテ?矢印?やっと見つけた目印と近所で聞いた方向へ進むが行き止まりになる。「えっ!どこ?」戻るがやはりこの道なのだ!柵を乗り越え砂地を歩く。見えたAが教えてくれた目印の建物!やっと港町らしい町に到着。残りのベッドも少なくAのお陰で今夜のベッドにありついた。
既にヨウジも到着していた。彼も私達が苦労をした場所で迷ったのと事、「まさかあの柵を越えるなんて思いつかないよねえ」何はともあれ全員到着!
Aとヨウジが探しておいてくれたレストランで全員の無事を祝ってかんぱ〜い!ここのワインはぐい飲みで乾杯。。。おもしろ〜い!
又港町らしく海の幸もなかなか美味でした。
目印が少なくて大変だったが、終わってしまえば今日の歩きは良かった。

6月18日ムシア(Muxia)〜フィニステラ(Fisterra)54260(41465)30km

今日は巡礼再終日。足に不安のあるA途中までタクシーと行っていたが最後の道をやはり歩いて終わらせたいと歩く事に決定。
7時半に出発するも、相変わらず黄色いホタテもしくは矢印がみあたらない?
お釈迦様の手のひらのようにムシアの町中をぐるぐる回っている感じだ。
ムシアの町を早朝散歩してしまった。手持ちの食料で朝食とする。

そこへシンキがやってきた。結局3人で歩く事になる。
(余談だがシンキのリュクには乾かなかったかわいいパンテイが♪プラプラ♪我々も5本指の靴下をブラブラさせながら歩く事はあるが、おばさん二人ハテどうしたものか?思案しながら後を歩くが、今の所、誰もいないししばらく様子を見ようと言う事になった。数時間後ヨウジと出歩く事になった時いつの間にかリュックの洗濯物は消えていた。リュックにちゃんとしまったらしい。やはりおばさんだから安心していたのだな〜納得)

前方から地元の早朝散歩組がやってきた。そのうちの一人の男性が、鳥羽にいた事があると、日本を懐かしがってくださった。我々を見て「フィニステーラへいくのかい?」「それならここから?」「フィニステーラへの分かれ道を気をつけて」と親切に教えてくださった。
無心論者の巡礼者にも神は公平に助けをくださる。感謝感謝!

いつしか私達は又"→"を見失う。再びカミーノへの道を外れたらしい、道を尋ねながらオランダの巡礼者と出会う。やっとカミーノの道へ戻り私達は4人旅となる。今日の道には川を渡らなくてはなる。さて思案のしどころと話題になっていた所目の前にその川が現れた。

逆を歩く一人旅の女性が、渡り終わった所だった。かなり川の流れは早い。私は沢歩き用のサンダルを持っていた。膝の弱い私には必要なものだった。深さもある、渡り木があったらしいのだが大雨で流されたらしい。誰も頼れない、自分の力で渡るしかない!女は度胸!大和ナデシコの底力を発揮する時がきた。昨年からの900kmの道のりを共にした背中の荷物をしょいながらバランスを考えながら行く事だ。

先を歩いているものと思ていたヨウジがやってきた。さすが男の子、難なく渡ってしまった。さて、難関の川を渡り終えた所に久しぶりにドイツの夫婦がやってきた。私達は先輩風を吹かしてお二人の検討を祈りながら先を急いだ。

バルでやっと昼食となった。そこへあのドイツのご夫婦、渡れなかったとご主人の方が「自分は大丈夫だったが妻がねえ」このカップル妻の意見が絶対なのです(笑)急遽皆でランチタイム!

ドイツのご夫婦は遠回りをしてムシアへ向かうそうだ。私達は5名となり終点フィニステーラへ向かって歩き出す。目印が無い、紛らわしい目印もあり、私達は戸惑うばかり。皆の意見を出し合いながら先へ進む。そして出たのが海岸だった。多分間違ったのだ、しかしこの海岸を歩いて行けない事は無い。ここで我々はこの美しい景色を見ながら休憩する事にした。この美しい景色は疲れた私達に神様がくださったプレゼントに違いない。

既に15時を回っていた日のあるうちに私達は辿り着けるのだろうか?
巡礼道に戻る。フィニステーラの標識を見つけた時の嬉しさ。地の果てフィニステーラへ辿りつける確信を皆がもった。人家が見える。海だ。遠くに海を見たとき私は体中に何かが走るのを感じた。うまく説明が出来ないが私のすべてが浄化した気がした。背中の荷物の重さも感じなくなっていた。私の体にぶら下がっていたすべての重荷がなくなってしまった。ゴールまで後10kmの地点だった。足も軽くなりアルベルゲまで飛ぶように歩いて行った。嘘のような本当の話です。今でもあの時の体中を走った何者かを時々思い出す事があります。

2年かけて歩いた920kmの道。本当に歩いて良かったと思いました。
私の還暦のイベントとして、人生の再出発にふさわしいイベントでした。
長らくおつきあいくださってありがとうございました。

2008年7月22日

ぶらりさん自己紹介


世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。

運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4〜10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。

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