第69回 45日ニュージランド横断65万歩バックパーカーの旅Part2
出発日
今回はハプニングからスタート!午後7時出発の予定が乗務員の急病で遅れるとの連絡が入る。明朝早く出発なので今夜は成田泊になるとの事。もちろん宿泊費は航空会社持ちである。
1日目
早朝発った飛行機、水関係のトラブルでグアムに一時着陸となった。修理がうまくいかなかったようでペットボトルの水が支給された。飲水用とトイレ用である。
翌日の午前10時半到着予定が、結局翌々日0時35分。オークランド空港近辺のホテル泊となる。私達にはたっぷりの日程があった。14時間遅れの到着はたいした事ではなく、逆に2段ベッドの毎日を覚悟していた私達には、ラッキーなハプニングだった。
しかし、修学旅行の高校生や団体ツアーの皆さんには貴重な一日だったに違いない。また、幼い子供達は良くがんばりました。
2日目
さてラッキーな私達はゆっくり朝寝をしてオークランドのYHAへ向かいます。2泊の予約をしていてよかった、コロマンデルへの移動に間に合わないところでした。
宿に荷物を置き、先ずはこれからの旅の計画を兼ねてバス会社へ。市内にあるオフィスへ繰り出した。2件のバス会社では親切にアドヴァイスを頂き全行程のパスをゲット。
3日目
今日から2泊3日の予定でコロマンデル半島を巡る。マジックバスがYHAの前に来るとの事だが初めての事でかなり不安だった。7時40分バス到着。2,3カ所立ち寄りながら2時間後テームズに到着このバスはロトルア行きなのでここで乗り換えです。
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旅の前にガイドブックで見ていたフィテアンガ&ハーヘイを周り観光をしてくれる。ハーヘイビーチに到着するとドライバーがバケツとスコップをだしてくれる。若いお嬢さん達はビキニスタイルになる。バス内での説明が良く解らない私達は戸惑うばかりだった。
兎に角付いて行くと皆海岸で砂を掘り起こしている。温泉です。ガイドブックにあったホットウオータービーチです。引き潮時たった1時間楽しめます。
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温泉の後、1時間ほどバスに揺られて到着した所は長年にわたる波の浸食に寄って自然が作り上げた巨大アーチカセドラル・コープ。ここでNZ初めての1時間ウオークでした。 |
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バスの中では回覧板のような書類が回ってくる。ここに宿の予約の有無にチェックを入れる。マジックバスのドライバーは希望すれば宿やアクテイビテイの予約もしてくれる。ガイドもこなす。
バスはコロマンデルタウンのYHAの前まで送り届けてくれた。2日後の予約をドライバーRossさんにお願いする。 |
こじんまりとしたYHAでした。私たちはここから本格的に自炊を始めます。スーパーでお買い物バックと食材を購入します。次の宿泊先ロトルアからテ・アナウまでをサイトから予約して就寝。 |
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4日目
コロマンデルを選んだのは、ドライビング・クリーク鉄道に乗りたかったのです。
http://www.drivingcreekrailway.co.nz/Introduction.cfm
バリー・ブリッケル氏にはちょうど何かの取材でショップに顔を出され、お会いできたのは幸運でした。
そういえば車窓から彼が作業をするとき持参したワインの瓶がびっしりと崖崩れの補強に使われていました。これも又アートのひとつですね。 |
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コロマンデルタウンは小さな町です。道路は広々としていますが信号がありません。オークランドやクライストチャーチといった大きな所以外はほとんどがそうでした。私達にはそれが嬉しいやら驚きやら。
コロマンデルのユースから鉄道まで2キロなので歩いて行くことにしました。鉄道を楽しみ町を散策して私達は一日を過ごしました。
5日目
約束の時間7時40分にバスはやってきました。テームズでRossさんとはお別れ。ロトルア行きに乗り換え今日は数ヶ所の休憩兼観光・アクテイヴィティで立ち寄り温泉地ロトルアに宿泊。ここのYHAはお勧めです。快適な3人部屋でした。ここで帰りの3泊を予約して次へ進みます。 |
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6日目
オークランドのユースからずっとマジックバスで一緒だったスイスの助産婦アニアとはここでお別れです。彼女はドライバーの説明を聞き逃しがちな私たちをずっとサポートしてくれました。この旅ではいつもより以上に出会いと別れがありました。

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今日はロトルアからワイトモ経由でタウポ泊です。ワイトモ洞窟はこのコースのビッグイベントです。スケジュールを立てる時から楽しみにしていた観光でした。その後もHuka Fallとこのコースは見所満載です。 |
7日目
NZには数多くのアクティビティがあるのはすでに有名な話。もちろん私の興味はトランピング(トレッキング)てくてく歩く、旅行をするといった意味の英語からきていて、簡単に言うとハイキングやトレッキングな、登山などを全部ひっくるめたNZ流の言い回し(地球の歩き方より)
今回国立公園のトランピングを5つ、後は滞在した場所の近くのウオーキングコースを歩いてきました。
タウポから1時間で到着するトランギに移動。日本の富士山に似たMt.ナウルホエがあるNZ最古の国立公園トンガリロ国立公園内にある。
本来ならファカババ・ビレッジに滞在したかったが、次への移動に伴う交通の関係でマジックバスの通り道トランギに2泊。このYHAでは地元の育成少年団柔道部とでも称してみよう、彼らの合宿に出会いました。
午前中にトランギに到着後、早速DOCビジターセンターを訪ねる。
このDOCとは日本で言うと環境庁と文部科学省を合体した機関?といえるかも知れない。とにかくDOCという国家組織が自然環境や歴史遺産の保全、トラックの管理、運営を一手に担っています。私たちもトランピングをしたい時にここで大変お世話になった。クイーンズタウンやテ・アナウでは日本人のスタッフも活躍しておられました。
私は日帰りコースとしては人気が高いトンガリロ・アルパイン・クロッシングを選びバスの手配を申し込んだ。週末は1日2000人もの観光客がトレッキングをするというコース。とはいえ山岳コースを縦走するコースなので油断大敵しっかりした装備と食料は持参することにする。
翌朝7時半にユースオッフィス前からピックアップしてくれることを確認する。
ユースの隣は大きなスーパーマーケット。早速翌日のお弁当の準備の為のお買い物と夕食の食材を買い込みこの日は自炊。
8日目
トランギを定刻に出発して1時間トレッキングの出発点マンガテポポに到着。駐車場には乗用車が見える。縦走コースだが半分歩いて引き返す人もいる。峠を越えたところで日本の若者に出会った、彼は早朝に来てコースを歩き終えこの駐車場に戻るところだと言っていた。その時私はその地点からでも今来た道を戻ることなど到底考えられなかった。
あの青年は今何をしているのだろう。この旅でたくさんのワーキングホリデーや留学生に会ったが女性が多く若い男性にはお目にかかることが少なかった。本当にたくましい青年でした。旅で得た様々の経験を生かし日本の将来の為に働いて欲しいと思いました。
19.4キロの行程を初めからひたすら登りのコースでした。当然一緒に降りた人たちはすでに姿が見えませんでした。とにかく4時半にはゴールにバスが迎えに来ます。それまでに歩き終えなければなりません。
私は標識を見るたびに地図に時間の確認を記しをつける作業をいつもより以上にしていました。 |
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前半は家族連れも多く,賑やかな歩きでした。
子供連れも多く振り返るとすばらしい景色に心癒されました。重ね着していた衣服を一枚づつ脱いでいきました。残雪を見てははしゃいでしまいました。標高は高くなるにつれて人が少なくなります。 |
最高地点海抜1900mのレッドクリエーターにたどり着いた時は既に12時半でした。この前後はまだ雪がいっぱいでした。この辺り冬は凍るそうです。これが残雪なのか万年雪なのかわかりませんが、まさか雪の中を歩くことは想定外でした。
レッドクリエータの地熱に思わず座って暖かさを味わいましたが、時間が足りません。後ろ髪を惹かれるように先へ進みました。 |
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やっと下り坂でした。体を突き抜けるような冷風が吹き始めました。用意した上着を重ねて風を封じました。エメラルドレイクまで下るとブルーレイクまで上りでした。それを過ぎると下り坂になります。
変形性膝関節症の私には要注意の坂です。せっかく筋トレなどでしっかりとした膝になってきたのですから充分注意をして下ります。 |
ところどころ流れる小川が温泉だったりいつもだったらもっと楽しみながら歩くぶらりですが少しだけ楽しんでバスの時間に間に合わせます。世界中の人たちが歩くこの道、後から来る人達が追い越して行きます。
マイペースを守りながら進みます。 |
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途中オーストラリアのシニア世代のグループと出会います。後になり先になり進みます。私が一人であることが解るとやさしく声をかけてくれて貴重な食料を分けてくれました。おかげで非常食として持っていたチョコレートが余りました。Ketetahi Hut(12キロ地点)で再開した時にはお礼と感謝の気持ちを込めてこのチョコレートを皆さんに食べていただきました。

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後7キロの下りです。下る時にどいつの女の子と一緒になりました。貴方は私よりずっと若いからどうぞ先に進んでといったのですがなぜかゴールまで一緒に歩いてしまいました。きっと私をおいていけなかったのではと思います。彼女と一緒にゴールした時にはバスが待っていました。16時28分でした。 |
2010年1月27日
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