ぶらり・ぶら~り
第90回 2011年3月11日後のサバイバル・ウオーク本番実践訓練 (2012/01/24)
平成7年1月17日の阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)をきっかけに始まった「サバイバル・ウオーク本番実践訓練」もし出先で、地震があなたを襲ったら….交通機関がストップしたら!
以前も58回のコラムに書いたのですが、今回は昨年3月11日「東日本大震災」後のサバイバルという事で格別な感じでした。
今年は、TX流山おおたかの森駅から自宅までです。
参加者はいつものメンバーです。しかし、ここ2回はご病気の為お休みをしていたTご夫妻が参加されました。健康を取り戻された事が何より嬉しい事でした。
実践訓練の前に準備する物は、地図、コンパス、万歩計です。
それとぶらりは2ヶ月前に白内障の手術をしたばかりでしたので、目を守る為に花粉症用の眼鏡を用意しました。手術後一週間は細菌を防ぐ為に必要な物でした。ところが、歩く時に風が入らないので目に優しくて、これはこれからウオークでいつも携帯する事にしました。
本来なら非常時の為の訓練ですから地図で調べるなんてと思っていましたが、外出先がどの位置に有るのかを知って出かける事は必要ではないかと考えるようになりました。先ずは我が家から出先までの地点の直線を引きます。
最近はその後Google map で道を有る程度調べる事にします。
数字的には26.3K 5時間24分かかる予定です。
今年は、昨年暮れ頃よりの寒気で、寒い日が続いています。14日も北風が吹いていました。出発前の記念撮影をして午前8時スタートです。
隣の駅「柏の葉キャンパス」少し手前までは沿線を歩きます。その後は北方面を目指します。
風はありましたが、歩き始めると体が温まります。厚着をしていましたが、イソップ童話の北風と太陽のように一枚ずつ脱ぎ始めました。
いつものように、あまり疲れていなくても50分から1時間置きに休憩を入れます。長距離を歩くときはこの休憩がとても大切です。
地図ですが、紙や本は年のせいでしょうか重く感じますので、最近はipodtuch
に地図を入れて持ち歩きます。少し画面が小さいのですが今練習中です。
地図とコンパスを確認しながら歩いていると、前方におなじみの筑波山が見えました。地図等無いときは筑波山を目指す事にしましょう。利根川の土手まで来ると風が冷たく橋を渡るときは、皆無口になり黙々と歩き続けました。しかし千葉と茨城の境界線を見るとホットした気分でした。
利根川を渡れば守谷です。11時半少し早めの昼食を取ります。
時間的には半分近くなっている筈ですが、いつも午後からが長く感じます。
その後小貝川を渡ると田んぼ道が続きます。歴史公園ワープステーション江戸の側を通りゴルフ場の中に出来た道路を歩きます。休憩の度にストレッチをしますが、結構足腰が張っています。
牛久沼に到着したのは午後5時、歩いた距離は35kmでした。やはり地図通りには行かなかったようです。今回は、数人が途中でリタイアするかも?と言っていたのですが、全員完歩でした。この訓練はあくまで自分の体力等を知っておくのも目的の一つですから、無理だと思ったらそこまでがゴールと思って、試してみては如何でしょうか?
今回改めて感じた事は、東京方面からつくばへ帰宅するとき、私達はいくつかの川を渡らなくては行けません。3月11日には橋が落ちる事は有りませんでしたが、震源地が私達の生活圏だったら通れなかったかもしれません。
やはり地震等があった場合直ぐに帰りを急がず、情報を集める事が大切だと思います。近くの避難所に待機して周りの様子を観察する事です。
また、3月11日に私の身内で東京へ丁度出かけていた者がいました。
携帯が使えず(彼女はメールが出来なかった)公衆電話に並んだそうですが、前で若い人、電話番号が解らず泣き出してしまったとか。私もそうなのですが携帯等の登録に頼って覚える事をしなくなりました。
手帳等に書き留める事も大事だと学びました。
この訓練が訓練のみで、無駄になる事を祈って止みません。
来年もTX沿線から歩いてみようと思います。
世界で一番人口の多い団塊の世代・1947年生まれの好奇心いっぱいの獅子座です。
忘れた頃の5人目で、比較的自由に育ちました。生まれは熊本・小中学校時代は下関ですから育ちは下関かも知れない。存在感のない子供でした。親からも同級生からも忘れられることが多かったので、気ままにテクテク歩いたりラジオ・テレビに興じたりしていました。今の生活にそんな育ち方が反映しているかも知れません。
運動神経の悪かった私は歩きというスポーツを見つけて20年すっかりアルチュウ(歩く中毒)になっています。社会性に乏しい割にはここ10年位は旅仲間と4~10人くらいで海外旅行を楽しんでいます。